Wednesday, December 31, 2014

二度目の新年をドゥシャンベで迎えます

さようなら2014年。タジキスタン時間、12月31日夜の9時です。 外では大晦日の花火があがっています。 我が家は5階なので、窓からよく見えるんです。 

今年を振り返ってみると、良く旅行しました。 アメリカに2度、日本に2度、モンゴル、中国、そしてウズベキスタンへ行きましたが 。 旅行が終わると直ぐに次の旅行の計画に追われていましたっけ。
2014年5月で10年もののグリーンカードが期限切れになったので、その更新にすったもんだしました。 無事に更新できて来月アメリカから出張に来る人が持ってきてくれる予定です。

今年は区切りの年だと自分では思っています。 何か迷いから抜けたような気がします。
来年からはアメリカに戻るので、私の結婚生活上で第3章に入ると言って良いと思います。 どんな生活になるのか、いまはとても不安です。 自分がハッピーな気持ちで居られるような生活を自分で作っていきたいと思います。

良い年にしたいです! 

Happy New Year!!!!!!! 


Monday, December 29, 2014

ブレーカーが落ちる原因がわかった!

昨晩、夕飯の後、食器を洗っていました。 我が家のキッチンのシンクの下には10リットルくらいのタンクがあってそのタンクは湯沸かし器になってるんです。 だから毎回食器を洗う分くらいのお湯が貯まってます。 だけど、洗い物がいっぱいありすぎると途中でお湯が出なくなる。 

が、昨日は全くお湯が出てこない。 すごく冷たいのです。 おかしいな・・・・と思って普段は良く見たこともないシンクの下を覗いて見てみました。 あれ、小さなスイッチが見えます。
そんなものがあることも知らなかった・・・・。それが下がってる。 

ジムを呼んで・・・・。 ジムがそのスイッチに手をかけた途端、パ〜〜〜ン! と物凄い音がして、キッチン全体の電気が切れました。 
シンクの下の湯沸かし器のスイッチ部分が破裂したんです。 火花が出たもの。
で、メインのブレーカーが落ちた。 このブレーカーはトルコ製で信頼できるものだ、って電気やのおじさんが言ってました。 問題があれば必ずブレーカーが落ちるからって。

やっと原因が究明できて、私としては安心しました。 冷蔵庫でも、冷蔵庫の電源でもなかったようです。 

ジムが言うには、1月の末にアパートを引き払い、ホテルに移動。 え〜〜〜! ってこたーなにかい? あと4週間で全てをまとめなくてはいけないってこと? それは想定外でした。

ホテルで3週間も過ごすのだそうで・・・。 良いような、悪いような? え、洗濯物とかどうするんだ? 
はい、明らかにお尻に火がつきました。 もう、キッチンのお湯なんて問題にしている場合じゃないです。

写真で菅が黒焦げに見える部分があるでしょ? 私はここが問題なのかと思ったら、これは単にパイプを90度に曲げるために火で炙った跡だそうで、問題ではないと・・・。凄すぎ・・・。





ジーンズが・・・・

今年の8月、ジムは20ヶ月ぶりにアメリカにもどりました。 いつもアメリカに戻った時にその先、1年分の衣料、お薬、食料などをかいあさります。 特に 赴任先では衣料品は買いませんから。 
で、Tシャツやらシャツやら、ターゲットでかいまくり、だけどジーンズは買わなかったんですね。 本人、ジーンズを4本くらい持っていると思ったらしいのですが、実はジンバブエを発つときにキツくなった2本のジーンズは寄付してきたのでした。 だけど、本人そんなこと、覚えていないので、ジーンズはオッケーって言って、買わなかったんです。 

さ、帰任まであと7週間ほどだっていう時に、ジーンズのお尻がパッカリと裂けました。 あちゃ〜〜〜〜! です。 お仕事に行くときもチノパンは特別な時だけしか履かず、毎日ジーンズですから。 ぱっくりと裂けました。考えてみたら、このジーンズ、3年くらい履いてるのかも???

普通なら、じゃ、買えばいいのに、って思うけど、こういう時、絶対赴任地では買わないの。 

なんとかしなくてはいけません。 まずは、鉤裂き用のパッチを裂け目に当て、その上にお名前シールというアイロンでくっつく布を貼り付け、そしてミシンでジグザグ縫いしました。 ばっちり裂け目はふさがりました。 あと7週間は大丈夫。 最悪、旅行中にまた裂けたとしたら、ドバイかインドで買わせるしかない。

あ〜〜!!!! もう一本のジーンズも全く同じ場所がパックリと裂けてる。 8センチくらい。

昨夜、レストランで食事した時、お尻穴空いてたってこと????

ジンバブエで結婚記念日に買ってくれたシンガーのミシン、これがなかなか良いのです。 ジーンズの縫い目の上からでもガンガン縫える、優れもの。 で、これもアメリカに持って帰りたいのだけど、220v専用で、アメリカでは変圧器が必要。 う〜〜ん、やっぱり持って帰れない。 
この街で売って帰るしかなさそうです。残念だ・・・・。

ヨレヨレジーンズ、頑張っておくれ!





ブレーカーが落ちる

覚えていますか? 以前壁から火が出たこと。 あれは壁の中のプラグがショートしたのが原因でした。 あの時も出火する前にブレーカーが落ちました。 だけど何が原因か突き止められず、ブレーカーをもう一度あげた後に出火。

一週間程前にもキッチン/ダイニングのブレーカー が落ちました。 まずい、これは何か故障を暗示するサインです。 でも冷蔵庫しか電源は入っていないし・・・・。 恐る恐るブレーカーをあげてみたら、今度はそのままでおちません。 あやし〜〜〜。 

で、昨夜、また、バチン! という大きな音と共にブレーカーが落ちました。 今度もまた、冷蔵庫しか電源につながっていませんでした。 で、ブレーカーをあげてみると、また、バチンと落ちました。 まずい、これは冷蔵庫に何か問題がありそうです。

とりあえず、ジムと私は冷蔵庫の電源を抜いて、ダイニングの反対側の壁にある電源に差し替えました。 で、ブレーカーをあげてみたら、こんどはおちません。

冷蔵庫を動かしたので、冷蔵庫の下になっていた床が・・・・・。 水分で腐っていました。
これは前にも大家さんに伝えていて、冷蔵庫から水が漏れて、床が腐ってきてると・・・・。

今のところ、冷蔵庫自体に問題があるのか、壁のプラグに問題があるのか、わかりません。

移動してからブレーカーは落ちていないので、今のところ大丈夫だと思うけどけど、今度落ちたら間違いなく冷蔵庫が問題。 

昨夜は出火したら・・・・と思ってなかなか眠れませんでした。 消火器もあるし、スモークディテクターも置いています。 

2月の中頃まで、お願い、冷蔵庫、壊れないで!

Saturday, December 27, 2014

穏やかな土曜日の朝・・・・のはずが

12月27日。 たっぷりと睡眠をとってからゆっくり起きて、ゆっくりと淹れたてのCoffee を飲んでいました。 
『今日は凄くいい天気で気持ち良いね〜。』 そんなことさえつぶやいていた朝でした。

ガシャ〜〜ン、バシャ〜〜ン!  バスルームから音が・・・・。
ジムのダッシュは素晴らしく早かったです。

私が駆け寄った時には既にバスルームは床上浸水状態。 なにがどうなっているのか解らないまま、ジムが水道の元栓を閉めました。

原因は、手洗い場のシンクの下にある蛇腹のホースが繋ぎ目から切れ落ちて、水道水が一気に流れ出したのでした。 

数日前に給湯器を直してもらったばかりだというのに、またしてもお直し屋さんを呼ばなくてはいけません。 

どうしてかって? たぶん、このアパート築3〜4年ってところでしょうが、建築資材がとにかく劣悪品で、金属部分が錆びてダメになる時期なんだと思います。 

午後になってやっと直しやさん登場。 もう3回目だから顔なじみ。  彼は部品を買いに走り、無事お直し終了。 この人とはiPadにインストールしたお喋り通訳ソフトを使って、会話します。
私が英語を喋ると、ソフトは発音が悪いらしくてちゃんと聞き取ってくれません。
日本語からロシア語に変換します。

6〜7週間、これが最後かな? 最後にしたい。




Friday, December 26, 2014

サンタからのプレゼントは?

12月25日。 クリスマスです。 ジムの地方出張に同行しました。
この日の出張目的は新しくできいた Water Users Association つまり、灌漑用水組合のオープニングセレモニーに出席することでした。









そもそも、ジムのお仕事を簡単に説明しますと・・・・、タジキスタンは90%以上が山岳地帯です。 わずかに残る農作地域では灌漑施設が機能せずに困りはてていたのです。 ソビエト時代に使われていた灌漑施設は、老化や内戦などで壊れてしまい、それを直せないまま何十年も放置されていました。 ソビエト時代はそれを管理するシステムがあったのでしょうが、ソビエトが崩壊したあとは、それを直せるだけのシステムや財力がタジキスタンにはなかったのです。 だから放置されっぱなし。 大地は乾き、作物を作れず、人々は飢えに苦しんでいました。 それをアメリカ政府の資金で直してあげて、灌漑施設を管理するための組織を作ってあげること。 これがジムの携わっているプロジェクトです。
4年の予定が5ヶ月年長されて、4年と5ヶ月、その間50幾つかの組合を地域ごとに立ち上げ、オフィスを建設し、役割を分担し、灌漑用水施設を彼ら自身の手で運営できるように組織化したのです。
その組合事務所、最後の3つが晴れてオープンしたので、リボンカットのセレモニーに参加するために行ってきました。

この事務所を建てるのだって、かなりのお金がかかっています。 建物以外に家具やコンピューターなども全部供給されました。 Water Users Association の責任者が続々と車で到着。 これはタジキスタンの伝統の儀式なのでしょう。 子供達がケーキとお塩を持って、感謝の気持を述べる挨拶がありました。 それは詩の朗読のようでもあり、リリックな響きで長いのに良く暗記しました〜、と褒めてあげたくなるような立派な挨拶でした。3つのオフィスでそれぞれ、同じような儀式が行われました。 

そして、テープカット。 そのあと、盛大なお食事。 2箇所連続でランチを出してくれたので、2箇所目はどう頑張っても食べられませんでした。 

最後は掘削機の譲渡。

 

どういうことかというと、DAI が新品の掘削機を購入。 ソビエト製で(たぶん一千万では買えません。) それをWater Users Associationsにポンとプレゼントしたのです。アメリカ政府、太っ腹!!!!
今日はその所有権を譲渡いたします・・・・という書類にサインをする集まりだったのです。 Water Users Association の人たちは大喜びなのはいうまでもありません。 『ここ20年、新品の掘削機なんて見たことなんてない、すごいことだ!』 と興奮ぎみ。 ピカピカの掘削機の横には、レンガでそのガレージが作られているところでした。 

この掘削機で運河に溜まったゴミなどを掻き出して、水が滞らないように管理運営していくのが目的です。 
この国はモスリムなので、クリスマスのお祝いはないのですが、今日のジムはまさしくサンタさん。 皆が喜んでいる顔を見るのはやっぱり嬉しいことです。 

プロジェクトが終了し、私たちがこの国を去ったあともこの掘削機が活躍し、灌漑用水が滞ることなく流れ、皆の生活を潤してくれることを信じてやみません。

出張に連れていってくれてありがとう。 来月1月21日にはアメリカ大使もご招待して、この掘削機のお披露目式が行われるのだそうです。 その時も一緒に行けたら嬉しいです。




給湯器壊れた.....

あと8週間で出国です。 だからこのアパート、漏電せず、水漏れせず、天井も落ちてこないことを祈っていたのですが、やはりそうは問屋がおろさなかったのです。

給湯器が壊れました。 バスタブにお湯をはってゆっくりしようとしたらいつものように熱いお湯が出てこないので、気がつきました。 翌朝、ジムはバケツにお湯をくんで、バケットバス。 まるでアフリカ生活のよう・・・・。

で、直しやさんに来てもらいました。 (運良く、大家さんはご都合が悪かったようで、今回は会わずに済みました!)

で、給湯器を開けてびっくり!なんと3キロの泥が出てきたんです。 3キロですよ、バケツに3分の一くらい。 開いた口が塞がらなかった。
たぶん、給湯器のタンクの中にフィルターが入っているのでしょうけど、長いあいだたまりに溜まった泥が堆積して、エレメントがダメになったんだと思います。 飲み水を水道水からろ過して使っていましたが、5リットルの水を落とすと、すぐにフィルターが目詰まりして、それを綺麗にする手間が大変。で、最近は飲み水を買っている状況でした。それくらいこの国の水道水は泥が混じってるっていうことです。

で、こんなことをなってなました。 バケツの中は汚水ではなく、泥です。 あしからず。
だけど、夜の8時頃までかかって、直してもらえました。 よかった。





泥の中から出てきた朽ち果てたエレメント。

新しいものと交換してもらいました。

あ〜、これで最後って言いたい。 






Tuesday, December 23, 2014

Pizza Night!

毎晩、夕飯のメニューに悩む私です。 
で、お願い、今晩何を食べたいか言って! と朝食の時にききました。 『🍕!』 

と、いうわけでメニューが決まれば、あとはそう難しくありません。 
ドゥシャンベには何件も🍕を食べさせてくれるレストランがあります。 だけど、イタリアンレストランはないんです。 どこの🍕も帯に短し、タスキに長し・・・・で、あまりぱっとしないんです。 やはり外国から入ってきたものだからでしょうね。 

で、粉から手作りしましたよ。 餃子に比べたら、朝飯前ってくらい簡単です。


ウェブを見たら、星の数ほどレシピが出てますから。 粉とチーズさえあればできちゃう。
今日は200グラムの粉で小さい🍕を3枚焼きました。

チーズはモッツアレーラチーズを使いました。 
見た目、いいでしょ? だけど、お味のほうは、”マーマー マイナス” ってところでした。
まだまだ、アップグレードする余地がある。

反省点は、
🍕のソースを工夫しないとダメ・・・・。
やはりガーリックを入れないと、味がぼやける。
隠し味に何かスパイスを入れたほうが良さそうだ・・・。

あ〜そっか、アメリカに帰ったら、自分で粉から🍕なんて作らないよね。 反省しても意味なしだ。







Saturday, December 20, 2014

お友達を招いてランチ

先日の天皇誕生日レセプション、ブログでは詳しく書きませんでしたが、これがまた、すごく大きいなレセプションでした。 2百人はゆうに超える招待客で、各国の大使をはじめ、外国人のお客さんだらけ。 日本人は、えっと何処にいるのかしら?っていう感じでした。 


ハイアットの大広間にはお料理がずら〜〜りと並び、その一角には日本食コーナーが! 天婦羅、お寿司、お好み焼き、クリームコロッケ、凄い量です。 これらのお料理、大使館勤務の日本人スタッフが大使も含め前日から作ったのだそうです。 素晴らしい! 招待客のみなさんが一斉にお皿を手に料理を取り出したとき、大使館スタッフはそれを遠くから見ているだけで・・・・。『なんで、食べないの?』と無邪気に聞いてみたところ、『大使館員はお客さんが十分召し上がってからでないと、とってはいけないの。』 とのお返事が・・・・。 なるほどね・・・。 お預け状態なのでした。 かわいそうに。


大使秘伝のレシピだというカニクリームコロッケが絶品でしたよ。

さて、昨日の土曜日はAAR (難民を救う会)の2人の女性スタッフを我が家にお招きしました。
というのも、このNGOは日本が運営するインターナショナルNGOで以前から私、興味があったのです。 で、お話を聞きたくてランチを計画したのです。

が、今週木曜日に私、ぎっくり腰になってしまいました。 やはりウズベク旅行の長時間ドライブがきいたんでしょうね・・・・。 ベッドメイクをしているときに、フニュ・・・・とした嫌〜〜な感じがして、あ、でも大したことないだろうって思ってました。 が、しっかりぎっくり腰でした。 でもどうしても土曜日のランチはキャンセルしたくなかったので、前日、あまり仕込みはせずに、土曜日の朝から頑張りました。 キッシュを2台、シフォンケーキを一台焼きました。 
ぎっくりしてから、3日目でしたので動けるようにはなっていたのですが、夕方にはガタガタに・・・・。 腰が痛いと、肩まで一緒にいたくなるんですね。

キッシュは昔勤めていた喫茶パレットのレシピです。 違う味のを2台別々に焼いたので、超忙しかったんだけど、そのてんてこ舞いしている間にジムがキッチンに来て、邪魔するったら! 暇なので、ウェブで子犬の写真やら可笑しい動物の動画やら見ているんだけど、それをいちいち私に見せに来るのです。 私が髪振り乱して、最後30分の追い込みに入っているときにです。

私の顔の前にタブレットを出して、子犬の写真を見て、という行為、言葉はなしです。 これは私をからかって、わざと怒らせようとしていたのか『ね〜ね〜、これ見て〜!』 とその場の空気を読まずにお母さんにまとわりつく子供化していたのか? 不明です。 反対の立場だったら、『I am busy now!』 と私を怒ること間違いなしですけど。

私? も〜〜あと少しでぶっちぎれるところでしたが、『お願い、ダーリン、可愛い日本人女性が迷子になってるようだから、お迎えに行ってきて頂戴!』 といって、携帯を持たせ、AARの女性を迎えにに行ってもらいました。 ジムはイソイソしたくをすると、最後に『ね〜、僕が外人だってこと知ってるの、彼等?』 『知ってます。アズングだってこと。』(アズングとはアフリカにいた時に白人を意味する言葉でした。)

AARのお2人はまだ若い。 日本人スタッフは2人だけで事務所を切り盛りしているそうで、頼もしいです。 2人とも英語はぺらぺら。 やはり海外留学者でした。 ジムも含めて、4人でランチをした後は、女3人おしゃべりに花が咲き、喋った、喋った!  クリスマス休暇は2人同時には休めないので、順番にとるのだそうです。 1人は友達とパリへ! もう1人は妹とドバイへ行く予定だと。 

若いうちから海外で活躍している2人、これから先、色々な国で色々な経験を積んでいくのでしょうね。 ハツラツとした2人の日本人女性がとても眩しく、頼もしく見えた一日でした。 
楽しかった!



 

Thursday, December 18, 2014

セキュリティー

 今私たちが住んでいるアパートは4棟が駐車場を囲むようにたっています。 真ん中にセキュリティーの人たちのための小屋が一軒。
前に書きましたが、このアパートには要人らしき人が住んでいて、その家族が特別にセキュリティーを雇っているようなのです。 ですが、その家族、いつもこのアパートに滞在しているのではなく、季節ごとにでたり入ったりしているようで、それにあわせて、セキュリティーもいなくなるんです。 今、AK47を肩にかけたセキュリティーが24時間体制でガードしています。

最近、違う棟に別の要人らしい家族が越してきたようで、建物の外に何台もセキュリティーカメラが設置されました。 ドライバーさんがドアを開けて、マダムと子供達が車に乗り降りしている姿を良く見かけます。 アパートの駐車場はレクサスだらけです。 

で、おととい、セキュリティーのおじさんが私たちを呼び止めたんました。 英語ではないので、何を話しているのか、さっぱり・・・。 だけど、”パスポート、コピー”、この2言だけ聞き取れました。 通訳の人に電話して要件を聞いてもらうと、”このアパートに住む外国人全員、パスポートのコピーを提出してほしい”  だそうです。 
昨今の世界情勢を考えたら、どこで何が起こるやもしれず、外国人のバックグランドチェックでもするのでしょうか? 
提出しました。

昨日の朝、ジムが『キューバのニュース見たかい?』 と興奮した口調で私に聞きました。 キューバとアメリカの国交が半世紀ぶりに回復するらしく、5年間もスパイ容疑で刑務所に入れられていたアメリカ人男性が昨日、釈放され、アメリカに帰ったというニュースでした。 その男性、ジムが現在働いているDAIのコントラクターだったのです。 そして、キューバに赴任し、逮捕されていたのです。 ジムが興奮するのも無理もない。 とらわれの身になる前は如何にもアメリカ人いった風貌だっのその男性、5年の間に歯も抜け落ち、見る影もないほど変わってしまいました。 まるでテレビドラマのような出来事ですが実際に起きた出来事です。 ジムもかなり危険な地域に赴任していただけに、無事に今まで過ごせたこと、本当に良かった。 危なかったことが何度かあったけど・・・・・。 あと2ヶ月で帰国です。 

Tuesday, December 16, 2014

帰任にむけて

いよいよ帰任が近づいています。 何時もと違うことは? それは次に赴任する国がないこと。 つまりカリフォルニアに帰るということです。 ジムはものすごく楽しみにしているようです。 私は? ちょっと不安だ〜。いや、かなり不安だ〜。  だって、これ、リタイアでしょ? まだ早いんじゃないのかな?
 
ジムはものすごくエネルギーのある人なので、定年したらおかしくなっちゃうんじゃない?って心配するんだけど、本人は前々からアーリーリタイアメントを考えていたようで、体が元気なうちにアメリカ国内を旅行したいのだそうです。 国立公園をまわりながらね・・・・。だけど、本人いわく、毎日2人で顔をあわせるのが嫌になったら、また海外にでるかもしれない・・・。 だそうです。 まだ完全に定年するつもりはないようです。 

と、いうわけで、出発するは2月23日です。 3月の初めに出発するのかとおもいきや、荷物を出荷し、ホテルに移動、あと家財道具などの片付けは寄付なんだけど、担当者が全てやってくれるのだそうです。 えら、すんまへん・・・・。

で、まっすぐに帰らないんだな、これが。 普通はこんなにあっちこっちよらないよね。 アメリカ人的発想? いや、これはジム的発想だと思う。  ドバイで乗り継ぎなので、1日ちょこっと観光? って思いきや、なななななななんと、私の大腸内視鏡検査をドバイでやることになってしまいました。
8月に日本でやらなかったからって・・・・。 やっときゃ良かった。

2月の末で私たち、無職になるでしょ? 今の健康保険も2月の末までしか使えないのです。 もちろん、その後は自分たちで保険を購入しなくてはいけませんが、色々種類があって、がん検査が100%カバーなんていうのは保険の掛け金もものすごく高いようで・・・・。 そこまで良い保険に入れるかわかりません。 だから2月にドバイでなのです。 金銭的に心配してるのか、私の健康を心配してるのか? どっち? ま、両方かな?

すごいストレスでしたよ、アポイントメントをとるの。 旅行者なので料金の取り損ないとかを懸念してか、検査のアポイントメントをなかなか入れてもらえず、『わかった、全額その場で支払いますから、だからアポイントメントを入れてください。』 とお願いして、やっと・・・・。
実際は保険会社が病院へ支払ってくれるはずなんだけどさ・・。

で、ドバイで3泊。 あ〜〜美味しいもの、我慢しなくちゃいけないのね。 検査だからね。

ドバイのホテルも予約しました。
さて 次はインド。 インドでは一週間の観光を予定してます。 ビザがいるぞ〜。
ビザについて今日は1日しらべまくりました。 インドの政府機関までメールして、やっと確かな情報を得られました。インターネットって本当に正反対の情報とかが、錯乱してるから、も〜大変。
11月の末からインドのツーリストビザがオンライン化されて、アメリカ人も日本人もオンラインで申請できることになったのだそうです。(日本人はもっと前からオンラインで申請できたようですが、システムがまた、変わりました。) 申請も、写真もパスポートのコピーも全てオンラインで送るのです。 支払いもオンライン。 すごいね〜。 で、証明書が送られてくるので、それをプリントしてインドへ。 こういう流れるだそうですよ。 こういう、細かい手続きはジムは余裕がなくてできませんから、私が担当です。 あいにく私のラップトップは壊れたままなので、不自由なんだけどさ・・・。

インドのあとはいよいよメインのネパール。 これまた、ビザについて調べないと・・・・。 アンナプルナのトレッキングはすでにジムが申し込みしてますから。 4000メートルちょっと地点までのトレッキングに備え、もちっとトレーニングしなくては!

なんだか、無謀とも思えるような帰国旅行です。 心配だわ・・・・・。 大丈夫かな?

ウズベキスタン旅行があまりにもうまくいって、未だに感動しています。 喧嘩しないと、旅行ってこんなに楽しいものなのねってね。 

喧嘩してあたりまえ、くらいに思っていてちょうどいいかもしれないです。
さ、できることはドンドンすすめなくちゃ!

写真はカリフォルニアに帰ったら飼おうってきめてる子犬。 
オーストラリアンシェパード。 2人の意見が一致しました。 キャンピングカーで一緒に生活する家族です。 犬の躾、ちゃんとしないと、大変なことになりそうだよね。 これだけはずっと我慢してたことだから、楽しみだ〜。

Monday, December 15, 2014

日本食

ウズベク旅行から戻ったのが先週の金曜日、その後疲れがどっとでて、週末は家でデレデレと過ごしました。 
でも、肉体的な疲れは寝れば治る! 週明け、天婦羅が食べたい! という欲求からマーケットに大根を探しに出かけました。

今日のドゥシャンベは快晴、暖かい。 そういえば、大家さんが12月からセントラルヒーティングがスタートするから、もし問題があったら連絡するようにって・・・・そう言ってましたっけ。 
今日は12月15日だというのに、我が家のヒーティングシステムは全く動いていません。 これが我が家だけの問題なのか、地域全体なのか、わからない。 意を決してアパートのご近所さんに聞いてみることに。 この場合、英語が通じないので、まずはiPadにセントラルヒーティングの写真を収め、先日インストールしたお喋りする通訳ソフトに私が聞きたい内容を録音して、いざ!

階下の住人、私の見せた写真で私が何を言いたいのか、すぐに分かってくれましたよ。
セントラルヒーティングは彼女のアパートも動いてないと、言っているようでした。
はい、これが各部屋に設置してある暖房システム。 お湯が流れることでパイプが暖かくなって、部屋を暖めます。 これが結構いいのです。 市が管理しているらしく、個人では全く調節ができません。 12月から2月の終わりまで暖房が働くはずなんだけど・・・・・。 ジムの会社の通訳さんに階下の住人と電話で話してもらいました。 どうやらシステムはまだスタートしていないらしいです。 雪が降り始めたらスタートするって・・・・。 つまり、まだ寒くないからということ? 初雪ならもう降ったのに。

我が家はオイルヒーター2台とエアコンを暖房に切り替えて一日中温めています。 それでも結構寒いですし、洗濯物が乾きません。

さて、今日のマーケットでは、大根、チンゲサイ、ニンニクの芽、下仁田ネギを買いましたよ。 これらは全てキルギスタン人の女性がやっている売り場でしか買えません。 これ全部買って6ドルって安い!


今夜は天ぷらだ!


Friday, December 12, 2014

ウズベキスタン 番外編

さて、番外編としてウズベキスタンのお土産について!
タジキスタンでもよく見かける刺繍、これはスザニと呼ばれる刺繍で、テーブルクロス、ベッドカバー、バッグ、いろいろあります。 ジャケットなどはかなりのお値段だと想像できます。

私はガイドさんと見学していた建物のなかのお土産やさんで、そのスザニでできたトートバックに一目惚れしてしまい。。。。。。今日は1日目、あと数日の間に絶対に同じ類のものに遭遇するだろうし、値段の相場がわからないし・・・・・だけど結局、買っちゃました。 
ジムに相談なんてしませんでした。 スザニの刺繍つきトート。 33ドルまで値切った!

翌日から他のお土産やさんで見るは見るは同じようなトートバック。 だけど、やっぱり私が気に入った物が一番でした! ミシンで刺繍したものは半額。 これはハンドメードの刺繍です。
中心がちょっとずれているのも、ご愛嬌ね!

ジムは親戚のお土産に刺繍の帽子。 これ、すごくかわいいです。 


甥っ子たちにはナイフ。

私とジム、2人のためにはウズベクのお皿。
 
これは飾りにもなるし、実用になるもの。 私はアメリカに持って帰るのが大変そうだから2番目の大きさにしようよ、と提案しましたが、一番大きいのでも10ドル。 一か八かにかけ、購入。


ジムはこの箱、気に入ったのがあったのに次のチャンスを・・・と思って買わなかったの。 そうしたら2度と同じものは見かけなかった・・・・。 やっぱり気に入ったらその場で決断するほう良いのかな? 

サマルカンドで絨毯ファクトリーを見学しました。 日曜日だというのに、絨毯職人の女性たちが手織りのシルクカーペットを作っていました。 一個一個結目を作っていく、これが本物。 偽物はその結目がないこと、また、フリンジのところだけシルクを使って、他はシルクを使っていない。 その見分け方は、フリンジの縦糸を引っ張ってみる。 本物なら、絨毯の面にまで糸が繋がっているので、指で引っ張った時それが感じられると・・・・。 なるほどね。 80万もする絨毯、偽物を掴まされたらたまったもんじゃない。 まして、海外に持って帰るとなったら・・・・。
1つ完成するまでに半年以上かかるのだそうです。 




小泉元首相もここを訪問されて、このシルクカーペットをプレゼントされたそうで、記念の写真が壁に飾ってありました。 絨毯はため息がでるばかり・・・。 私としてはせめてスカーフでも・・・と、シルクのスカーフを購入。 25ドル。 が、このスカーフ、翌日、どこのお土産屋さんでも同じものを見かけ、15ドルで売っていました。 ま〜、ファクトリーを見学されてもらったので、そのツアー料金だと思うことにします。









タジキスタンより面白いお土産がありました。やはり、タジキスタンより観光化しているためですね。


ブハラより

寒かったサマルカンドを後にして、私たちは電車でブハラに向かいました。 ウズベキスタンにはエクスプレストレインという高速電車があるのですが、サマルカンド、ブハラ間は走っていないのだそうです。 で、普通の電車に。 チケットは3段階あって、私たちは一等という真ん中のを選びました。 1人30ドルです。 決して安い値段ではありません。 Mさんの分も発券していたので3席を2人でゆったり座っていけると思っていました。 

いざ、電車に乗ってみると、ブースになっていて、各ブースは3席、または6席。 各ブースにはドアがついています。 それにテレビらしいものが設置されてる。 私たちの席はなんと、2つのブースに予約されていて、3つを使用することはできませんでした。 すでに私たちのブースには3人の男性が乗っていて、そこにジムと私は席を確保。 3時間の電車の旅です。 椅子は日本でいうと大きなマッサージチェアのような感じ。 一つだけ不満は空気は凄く悪い。 車両のどこかでタバコを吸っているお客がいるに違いありません。 とにかくムッとした空気。 



ブハラはサマルカンドより寒くない。  駅で片言の英語を話すタクシーを選び、ホテルへ。途中マーケットによって、両替。 この国のお札は5000スムというお札が一番大きいお札。 これは$1.6 。 だから30ドルのお金が2センチくらいの厚みになってしまって大変。 100ドルなんていったらお財布に収まりません。 国境で両替したときは1000スム札で手渡されたので、その何倍もの厚み。 以前のジンバブエみたい。

ホテルのお客さんはやはり私たちのみのようで、昔はマドラサ(ドミトリー)だったという小さなホテルは静かで、一泊$50 にしては大満足。 
到着の夜、ウズベク料理が3日間続いたので、イタリアンレストランへ行ってみました。 この日はウズベキスタンの憲法記念日だったせいか、どのテーブルも予約が入っていて賑わっていました。
ピザ、パスタ、サラダ、ワイン。 そして特別メニューにお寿司が。この砂漠地帯のウズベクに寿司メニューがあるなんて。 ジムと私は面白半分にピザとパスタのほかにサーモンの入ったロールをオーダーしてみました。 


はい、これがウズベク流、お寿司です。 隣のテーブルは現地の人たちの家族連れ。 彼らもまた、寿司をオーダーしている様子。 観察する私・・・・・。 あちゃ〜、お箸の持ち方、やっぱり知らないんだ。 お箸を上からぐー状態で握りしめてる。 挙げ句の果てに子供が家族全員の箸を集めて鷲掴みにして遊んでるし・・・・。 あの〜、お箸の持ち方を教えてあげましょうか? と言いたいところだが、余計なお世話?  寿司ブームはどうやらタジキスタンだけではないようです。
ちなみに、この裏巻きのロール、5ドルくらいだったかな? お味は悪くなかったです。 レモンがよくあってた。 ソースは真ん中が中国のお醤油。 両端はなんだか、よくわからなかった。
イタリアンレストランだけど、ピザよりお寿司のほうが美味しかったのは意外。

赤ワインをボトルで一本あけて、上機嫌な夜でした。

翌日は雲ひとつない晴天。 朝はマイナス4度の寒さでしたが、お日様のおかげでゆっくりと暖かくなり、ガイドさんのと共に歩きのデーツアー、とても気持ちよく、歴史的建物が青空に映えて最高!!!!! 











たった1つ、私の大後悔はいつも手袋なんかしないのに、慣れない手袋をしていたために何度もパナソニックのカメラを地面に落としてしまい、また、画面に黒い点が現れる状態になってしまったこと。 大失敗。

成田からエアウズベキスタンが首都のタシュケントに飛んでいるそうです。 が、11月からはオフシーズンでお客さんがいないので、その便はストップしているそうで、また3月になると、大勢の日本人観光客が訪れるようです。 だから今回、日本人には1度しか遭遇しませんでした。ジムが『こんにちわ!』 と声をかけると、やはり日本人でヨーロッパから来たと言っていました。 寒いけど、ちゃんと厚着していれば、この時期、決して悪くないと思うな、私としては。 どこへ言っても観光客が殆どいないから。

iPad様のアプリでこれを書いているのだけど写真の大きさや、レイアウトなど、何も修正できません。 ただ、かいて、写真を貼るのみ。 そして、アップロードしたページはどう見えているのか、タジキスタンからではチェックできません。 ま、いいや、興奮覚めやらぬうちに書き留めておいたほういいものね・・・。

ウズベク旅行、プランの段階で90%諦めて、もういいや、行くのやめようって思っていたのです。が、最後まで諦めずに実行して、本当に良かったです。 アジアで最高の思い出となりました。
なんでって? 全て、偶然が重なっているのだけど、上手くいったのです。 もちろん旅行っていうものはいつだって、予期せぬことが起こって、それも旅の持ち味であり、それをちょっと楽しむくらいの余裕があるといいのだけど、どれだけ旅行を重ねても、いつも何かのハプニングでつまづいてしまい、後味の悪いものになってしまう・・・・。 そんなパターンが多いなか、今回はちょっと違ったのです。 今までの旅行で一番スムースにいった。 小さなハプニングも含め、うまい具合に乗り越えた。 どうしてかって? やっぱり、きりつめて無理をしないことだと私は結論づけます。 行き帰りの車は1人30ドルも出せば、乗り合いタクシーでも行けたはずです。 それを片道250ドルも払った。 これは旅行会社を通したから。 だけど、もし乗り合いタクシーだったら? 
英語は通じないし、乗り心地は悪いし、乗り継ぎしなくてはいけないし、すごいストレスだったと思うのです。 旅行会社の車でも帰りはホテルからボーダーまで8時間。 飛行機なら太平洋を超えられる時間のドライブ。 ホテルは一番安いランクでも旅自体の質を下げないための出費は値切ればいいってものじゃない。 あれ、日本語変? ”贅沢を追求するのではなく、旅の質を下げないための出費は値切るべからず!”  これが、過去8年近く旅行を続けた私の結論! 

あ〜〜、本当に素晴らしい旅行だった〜。





























Wednesday, December 10, 2014

ウズベキスタンより

ウズベキスタンのホテルから自分のブログにアクセスしたら、ちゃんとページが開きました。
デザインが変わってしまっていたのにはびっくり!
タジキスタンからは、どうしても自分のページが開かなくて、お手上げなのです。iPadからなのでそのせいかと思ったら、やっばりタジキスタンのせいだと判明。
ウズベキスタンのホテルでデザインを変更しましたが、どうしても世界時計のリンクだけは、白抜き状態のまま、直せませんでした。

明日、タジキスタンにもどるのでウズベキスタンの旅行の話を更新します。

タジキスタンからだと、私自身、更新はできても、全体のページはみられないんです。
ひどいことになっていたら、メールで教えてください。

Sunday, December 7, 2014

サマルカンドより

ウズベキスタン旅行、進行中です。Mさん抜きとなったこの旅行、色々工夫が必要ですが今日が4日目、何とかなっています。雪もチラつきましたが、ここは砂漠地帯なので降水量は少ないし、やたら乾燥しています。普段水仕事しても、ハンドクリームなんてつけない私の手がガサガサ、唇もしかり。

サマルカンドまでの道のり、国境越えは、ボーダーコントロールで5回か6回、チェックポイントがあって、どこも問題なく通過できたので、ウズベク側で待っているドライバーさんとの待ち合わせ時間よりも早く着いてしまう。。。。。なんて、思っていたら、大間違いでした。
最後のウズベクサイドの入国審査で季節外れの外国人観光客の私達は、たっぷり審査官の好奇心を煽ったようです。国境を越えるのに2時間近くかかってしまいました。

ウズベク側で無事ドライバーさんと会い、そこから6時間のドライブ。6時過ぎにホテルに無事チェックイン。気温は0度くらいでしょうか?お客さんは私達のみ。最初、Mさんの提案で金曜日のお昼すぎに出発する予定でしたが10時間もかかったのだから、朝早く出て正解でした。

ホテルの前で待っていた男性が「シャブカットといいます!あしたのツアーのドライバーです。」と自己紹介してきました。私は、旅行のプランをたてるのに、何度も何度も、私とメールのやり取りをした、あのシャブカットなのかと勘違いして、「色々ありがとう!休暇中なのに、来てくれたのね!」と喜んで握手したのだけど翌日、違うシャブカットだと判明。。。。。。。。喜び過ぎちゃいました。

サマルカンドの2日目は英語を話すガイドさんとドライバーさんつきで1日観光をしました。寒かったです。でも、観光客は少ないし、一杯着込んでましたから凍えずにゆっくり観光できました。サマルカンドがシルクロードの中間都市として栄えた頃の活気を頭にイメージしながら、今まで見たことのないサマルカンドブルーの風景を堪能しました。


実を言うと、予算を節約する為に、私はかなりの時間を費やして計画を立てました。ホテルも一番リーズナブルなランクから選んだし、サマルカンドでの2日目も旅行会社のツアーはやめにしてフリータイムに決めました。これが大正解でした。 マイペースで動けるし、1日目で殆どの目玉は見尽くしているので、2日目はミュージアムに行ってゆっくり見学。Afrasiab Museum と言うミュージアム、日曜日は休館とwebには書いてありましたがひっそりと開いていました。スタッフは私達の来館を知ると、入り口で大喜び。
何日間もお客が無かったのかしら? しばらくすると、コロコロにコートを重ね着した英語のガイドさんが登場して、ガイドをオファーしてきました。皆、久し振りのお客なので大張り切り。

ミュージアムは古代からの遺跡の発掘についてや、出土品などが展示されていて、寒かったけど、とても面白かったです。何と言っても、7世紀に描かれた壁画をこのミュージアムに移動させてきたという巨大ミュール。これは圧巻でした。オリジナルの壁画です。どうやって移動させたのか不思議なのだけどね。7世紀の遺跡が手の届く距離に、それも二人だけで鑑賞できたなんて! 日本ではありえないね。
寒くて鼻水たらしながら、それでもラッキ〜としか思えないミュージアム体験でした。
明日は電車でブハラへ移動します。