Saturday, June 26, 2010

チャイルドケアセンター&孤児院


23日水曜日、ニュースキンの方達と一緒にチャイルドセンターと孤児院を訪問することにした。 午後から皆さんのツアーに飛び入りしたい、とこのツアーを企画する旅行会社の担当者に頼んだところ、ノープロブレム! バスの座席は十分だから是非参加してください。 そういう返事だった。 ランチの集合場所に向かうところであなたをピックアップしますから。 自宅待機してください。 そう言われた。 

ところが待てど暮らせど電話がない。 心配になって担当者に電話する。 慌ててる様子が伝わってくる。
どうやら私を途中でピックアップするのを忘れたようだ・・・。 それならそれで私は参加を諦めても良かったのだけど・・・・。 さすが、プロの旅行企画人。 皆が既にマラウイダムに到着してしまっているにも関わらず、旅行会社の人がレンタカーを飛ばして私の家まで来てくれた。 私1人をダムまで送って行こうということらしい。 すみませんね・・・・。

30分という話だったが、凸凹道を50分ほど走ってやっと皆さんの集合場所に合流。 良かった。 ランチを食べ、チャイルドケアセンターに向かう。
私達は予定の時間より2時間遅れて到着。待ちきれずに南百メートルも離れた所まで出迎えに来ている子供達もいた。 私達の車を見て歓声とともに一緒に走ってついて来る。 

チャイルドケアセンターは想像以上の人で溢れていた。 センターに属する子供達だけでなく母親達、兄弟達、そして周辺に住む人達まで集まっていたからだ。
チャイルドケアセンターは5歳以下の子供達を集めて、日本でいえば保育園のような役割を果たす場所なのだが、ここのセンターは教会の建物を借りているようだ。 茅葺き屋根、土の壁、床も土でできている。 建物があるだけでも良い方なのだ。 場所によっては木の下で活動をしているセンターもある。 バイタミールを調理するのはたいては屋外のキッチンだがチッキンがない場合は誰かの家のチッキンを借りる場合もある。 ボアホールの井戸(手動ポンフ式)を使う所は恵まれていて、オープン井戸の水を使わなくてはいけないセンターもあるという。 オープン井戸というのは掘りっぱなしの穴だけの井戸だ。 バケツ等にロープをつけて手で汲み上げる。 水はものすごく濁っている。 この水にウォーターガードという消毒剤を入れて調理に使う。

ニュースキンの方達が日本から持参したプレゼントはお皿、カップ、スプーン、おもちゃ、Tシャツ等だった。 ポラロイドカメラもあって、1人1人子供達の写真を撮って手渡そう! というプランだったが、この状態では無理と判断。小さな子供をだっこしているお母さん達に写真をプレゼントすることに変更。 お母さん達は喜んで被写体になり写真をもらって大喜び。 赤ちゃんを抱いていると写真を撮ってもらえるという事が皆に知れ渡ると、赤ちゃんではなく、大きな子をだっこして、私の写真、私の写真! と願い出る人達が続出。 

お祭り騒ぎのチャイルドケアセンターを出発しようとすると、何やら不満を訴えている女性が1人。 その女性、一番貫禄があって、一番前で仕切っていたから、この人がこのセンターの責任者だとばかり思いこんでいたのだが、その人は隣のセンターの人だという。 ここのセンターばかりプレゼントをもらって、自分のところは何もなし! それは不公平だと訴えていたようだ。 後で主人に聞いたところ、まわりのセンターは後日訪問して何か他の物を配るようにちゃんとプランがあったそうだが私たちは直ぐにその場で残っいた食器類を彼女に手渡した。 満面の笑顔だ!

私たちは喧噪を後に孤児院に向かった。
この孤児院はカソリックのシスター達で運営されている。シスターは政府の社会福祉事務所を通して子供達を保護する他に、奉仕活動の1つとして、出産で母親を亡くした赤ちゃんや母親またはその家族が子育てを断念した幼児達を保護したりする。子供達が健康に育った段階で家族の中に戻っていけるよう、シスター達は家族との連絡をとり続ける。 どうしても親類家族に戻ることのできない子供は養子縁組みできるよう手助けするのだそうだ。訪問活動中に援助の必要な子供達を見つけてビタミールを家に持って帰らせることもシスター達が行っている奉仕活動だという。

ニュースキンのの皆さんから風船、1人分ずつに分けられたキャンディー、おもちゃ等をもらって大はしゃぎの子供達。 今晩は皆興奮して寝ないわよきっと! とシスターは微笑んだ。

この施設は訪問するたびに何か不思議なオーラみたいな物を感じる。 子供たちはシスターや他のスタッフ、ボランティアの人達の愛情に包まれて大事な幼児期を過ごす。 この時期に栄養が足りないと身体の発達はもとより、脳の発達にまで影響する。 最近、栄養失調の状態で預けられたという2歳の子供もバイタミールを1日3回もりもり食べていると言う。 やっぱり重要なんだ、バランスのとれた食事が!

バイタミールを作るための資金を寄付してくださるニュースキンの方達、目の前でバイタミールで育つ子供達を見、より確かな手応えを感じてもらえたのではないかと思う。 

逆境に負けずに大きくなれ! 子供達。
ニュースキンの皆さん、お疲れさまでした!

写真はチャイルドケアセンターに集まりバイタミールが配られるのを待っている子供達、。
下の写真はバイタミールを食べた後の子供。
そしてプレゼントをもらったところの孤児院の子供達。

 



Thursday, June 24, 2010

100倍気長にね!

私の取り組んでいる紙芝居形式の教育資料、大詰めの段階に入っているのだがその最後の詰めが難しい。この国で印刷屋さんを相手に自分の思う通りに物作りをするのは結構大変な作業であることを再認識する。
日本やアメリカならすんりできることでも、ここでは100倍気長に取りかからないと精神衛生上よくない。 長く待たされる、100%のできを期待しない、イライラしない、これらの事は必要最低条件だ。 そう自分にいい聞かせながら印刷作業に取り組む。

私が今仕上げようとしているのは、現地語の訳をつけたテスト用プリントをA3(42cm x 29.7cm)サイズに両面印刷する事。 ゼロックスというコピー屋さんで印刷を頼んだのだが、まずは担当者が普通サイズをA3サイズに切り替える方法を知らなかった。 『大丈夫! スペシャリストを電話で呼ぶから!』 マネージャーもそう言って私を説得する。 待つ事30分。 スペシャリスト登場。た〜〜だ、A3に切り替えるだけの話なんだけど・・・. スペシャリストね????。

このスペシャリスト、私の印刷物の為に車で駆けつけて来た。 彼はいとも容易くA3サイズのプリントに成功した。 が、ちょっと気をゆるすと、サイズを間違えたり、裏に来るはずのページを間違えたりする。 なので私もカウンター内に入ってスペシャリストに激を飛ばす。その調子! ビューティフル! あなたってすごい! 

なんせ、1台しかないカラープリンターだから、他のお客さんが来ると割り込みされて私は待たなくてはならない。 我慢、我慢・・・。
お昼時間になってしまい、マネ−ジャーとスペシャリストは1時間のランチタイムをとるという。 まじ? 

結局10時ころから始めた25ページの両面印刷、終わったのは午後の2時半だった。 

お金を払うときになって、このマシーンでプリントしたものはカラーも白黒も同じ値段だという! 早く言ってくれよ〜〜〜。 テスト用なので安くするためにわざわざ白黒に切り替えながらやっていたのに・・・・。


翌日出直して、今度はバインディングをお願いした。 ところが、A3の長い方の辺をバインディングできる機械はないという。 うっそ〜〜〜〜! 私、最初に説明したよね。 A3で印刷して、それからバインディングしたいって。サンプル見せたよね? 値段も聞いたよね。でもそれは短い方の辺だけだって? 誰もそんなこと言ってなかったよ。 どうしたら良いのよ?
ガマン、ガマン、ガマン、ガマン・・・・・・・。
他の印刷やさんを紹介してもらい、気をとり直してオールドタウンへ向かう。しかし次の印刷屋さんにもA3サイズのバインディングマシーンはないという。
もう1つ紹介してもらう。
今度は電話をしてから行こうと思い、フィードザチュードレンのオフィスに向かう。 電話で聞くと、この3つ目の会社はオフィスのすぐ近くだった。 

受付の人が会社内を案内してくれた。 わ〜〜、もの凄く大きな会社で大きな印刷機がまわっている。 ちょっと大きすぎて部数の少ない私の印刷物は相手にしてくれないかも?
そう不安に思った。 でもラッキーなことにA3のバインディング、1つだけでもやってくれるという。 私は大切なA3プリントを男性に手渡した。 ここをバインディングね! 

15分後、彼は私のプリントのを手にに登場した。 私の目が点になる・・・・ちっっが〜〜〜〜う!短いほうの辺に穴をあけてる〜〜〜。 絵を見たらわかるでしょう〜
こっちじゃなくて、こっちの長い方の辺を閉じたいの。 町中さがしてここに来たのに〜〜。昨日何時間もかけて印刷したプリントに無惨な縦穴の列が・・・・・・。
彼は笑いながら、『あれ、間違っちゃった? 大丈夫、穴を切り落として、やり直すから。』
っも〜〜〜〜〜〜!顔で笑って心で般若になって怒ってる私。
彼は奥に消えて行った。私は大きくて性能の良いカッターがあることを祈った。 ばっさりと縦穴を切り落としてくれれば、マージンは減ってしまうが、なんとかなるかもしれない・・・・。 祈るような気持ちだ。

10分後、彼は長いほうの辺にコイルを巻いたプリントを手に作業場から出て来た。 横のサイズが小さくなり、そして大事なプリントに油染みまでつけて・・・・・でも出来上がった!
今日はラッキーな日だと思うことにしよう!

写真は最後のページになってカラーでも白黒でも同じ値段だと知って、カラーで印刷したページ。 

疲れたわ〜。


Wednesday, June 23, 2010

ニュースキンジャパン


日曜日、日本からのニュースキングループが香港、台湾のグループと共にマラウイに到着した。滞在は1週間ほどだが毎日盛りだくさんの予定が組まれている。 マラウイはニュースキンの方々からの寄付があってバイタミールを作る事ができる。自分たちの寄付がどのようにこの国の子供達を援助しているのか、皆さんはニュースキンの代表として、証人としてここに来ているのだ。参加者はバイタミールの工場を見学したり、バイタミールの配給風景を見学したり、チャイルドケアセンター、孤児院など、バイタミールが活躍している現場を視察したりする。

日本人グループにはニュースキンの社員で日本在住17年という日本語ぺらぺらのアメリカ人男性が同行している。(私の日本語より上手かも?) お陰で私は通訳に奔走することなく日本人の方達と交流を深める事ができてとても嬉しい。 日曜日の晩に一緒にディナーをとったとき、色々な質問を受けた。マラウイの国について、生活について、現在直面している問題について、そしてバイタミールについて等。 夜9時をまわっているにも関わらず、主人を取り囲みながら質問しメモをとる皆さんの真剣さ、熱心さに主人も私もとても心をうたれた。有意義な夜だった。 

メディアからは毎日新聞社、週刊エコノミストのチーフ編集長さんも同行している。 どうしてこれほどニュースキンの人達がこのビジネスに情熱を持てるのか? ツアーに同行しその答えを見つけたいそうだ。

”私たちのビジネスの本質はこのバイタミールへの寄付です。” ディストリビューターさん達はそう言い切る。 自分たちの仕事を誇りに思っている事が伝わってくる。
『現在5万人の子供達が毎日バイタミールを食べています。』 という私のコメントを一生懸命メモにとる皆さん。 『今は5万人ですが将来的な目標は7万5千人です』私が伝えると、皆さんは『7万5千人、目標達成できるよう頑張ろう!』そうささやきながらお互いの顔を見合わせていた。 この使命感は一般企業の社員が会社の目標売りを目指して頑張る使命感とはちょっと違うのではないかと思った。 
この情熱がニュースキンジャパンからの寄付が他の国のニュースキンの寄付を超えて世界第一位という記録を作り出すようだ。 日本人ってなんだか凄い!


写真は到着した日のディナーと昨晩の主人のプレゼンテーション。 昨晩ははクンバリエジュケーションセンターにて行われた。 プレゼンテーションの後は屋外でのディナー。 最後は地元の人達がダンスを披露してくれた。最後は私たちも一緒に輪になって踊り、盛り上がった夜となった。 残念ながら私も主人も一緒に踊っていたので、私たちのダンスの写真はない・・・・。 
主人が何の躊躇もなく立ち上がり踊りだしたのには、はっきり言って驚いた。 シャイなはずなんだけど・・・・?



 




 

Friday, June 18, 2010

朋のバッファローチキン ほっぺ落ち落ちレシピ


バッファローチキンっていう鶏の手羽先の料理がある。 手羽をじっくりとオーブンで焼いた物で味がしみ込んでいてとっても美味しい。 カリフォルニアにいた頃、(まだ私もジムも40代だったころ)週末の過ごし方として2人でランニングをしていた。 20分ほど車で行くと国立公園かと思うようなきれいで、ひんやりと涼しい山があってその木漏れ日の中、川の流れる音を聞きながら2人で10キロ走っていた。 2人乗り自転車でその山道を登ったこともあった。 健康的な週末だったな〜!

運動後のお楽しみといえば!
ささっと汗をかいたシャツを取り替えてブランチに行く。近くにゲイルズというアメリカでは珍しいほど繊細な味のデリカテッセンがあったから。 そこのフランスパンは絶品だったし、サラダもマリネ物もロースト物も、サンドイッチも全て文句なしのおいしさだった。 目方で買って持ち帰ったり、その場で週末の日差しを楽しみながらブランチを楽しんだり。 いつも大勢の人でにぎわっていた。 ケーキ類も絶品!

そこで私とジムが大好きだったのがこのバッファローチキン。 ゴールデンブラウンに焼き上がった鶏の手羽は柔らかくって、ジューシーでオレンジの香りが少しだけ入っていて・・・・,どうスッ転んでもこの味は真似できない!と脱帽していた。
ジムが私にこれ作ってよ!とリクエストしていたけど、どういうレシピなのか????? 想像もできなかった。

さて、話はマラウイに飛んで、お店で鶏手羽を見て思い出した、バッファローチキン。 もう3年くらい食べていない。 鶏の手羽は驚くほど安く手に入る。 
インターネットは本当にありがたい。 料理のレシピは世界中のものを検索できるのだから。
バッファローチキンのレシピを検索した。 星の数ほど出てきてしまい、どれがあのゲイルズの味に近いのか? 作ってみないからにはわからない。
鶏をつけ込んで20分焼いてできるものもあれば、2時間もオーブンで焼く物もある。

試した、試した!

ラッキーだったのは2つ目に試したレシピがゲイルズの味にかなり近いもので、ジムもうなった。 ウ〜〜ン、かなり近いね、ゲイルズに!

改良に改良を重ね、とうとうできあがった朋のバッファローチキンレシピ、これは我が家の家宝として孫子の代まで引き継いで欲しいと思う。 (だけど、私も兄も子供がいない。)

ここに”バッファローチキンほっぺ落ち落ちレシピ”を紹介する。 2時間オーブンで焼くから途中で停電するとかなり痛い。 マラウイでは昨日も昼前から夜までず〜〜っと停電だった。 なので停電のなさそうな頃合いを見て焼きましょう!

ジムの感想:
『ゲイルズ、ワッチアウト(気をつけて)!朋のチキンの味がゲイルズを超えたかもしれない!』


やったね!

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  • チキンウィング 1キロ
  • ブラウンシュガー 1/2カップ
  • 醤油 1/2カップ
  • 酢 1/2カップ
  • 蜂蜜 1/4カップ
  • ニンニクみじん切り 3房
  • ショウガみじん切り 小さじ2
  • 塩 小さじ1/2
  • こしょう 少々
  • レモン汁 小さじ 2
  • 鷹の爪 種をとって細かくきったもの 2本
  • オレンジの皮をおろしたもの 小さじ1〜2 (オプション)
  1. 味がしみ込みやすくなるように手羽にフォークで穴を開けておく。 
  2. 調味料を全部こなべにいれて火にかけよく混ぜる。 沸騰したら弱火にして2分程度煮詰める。
  3. 耐熱容器かオーブン用の鉄板(深め)にチキンを入れて小鍋の調味料をかける。
  4. 180度のオーブンで時々チキンを混ぜながら2時間焼く。 焼き上がる前、まだ調味料が液体状のときにオレンジの皮を混ぜてチキンにかけるとオレンジ風味になる。 これはオプションだけど。 
注:耐熱容器でなくて(深めの)鉄板だと火の通りが早いので2時間焼かなくても調味料が液体状からベタベタ状にかわってくる。それが焼き上がりのタイミング。 


残念なのはお客さんの時に出せない事。 だって手も口の周りもものすごくべたべたになるんだもん・・・。


写真は1時間30分〜40分焼いたところ。調味料がこげる前にオーブンから出す。


ファーセラピー




リロングウェに新しく赴任したアメリカ人と友達になった。 主人の甥の学友だ。 学生だったとき寮に住んでいて、彼(甥)がデートしなかった唯一の女友達なのよ! と彼女は私に告白した。 なので甥のワイフはそのことを知っていて私のことが気に入ってるのよ! と明るく話す。

彼女はこの町に1人で住んでいて動物保護団体から子犬をもらって飼いだした。 2匹! 昨晩、夕飯時だったのだが、主人の夕飯を用意してから1人で彼女の家に向かった。

ぅわ〜〜〜い! 子犬だ〜!

ファー(毛皮)セラピーって必要なのよ! カメレオンもハリネズミも大好きだけど、やっぱり、犬とか猫とか(パンダでもいいけど)フワフワしてるものを触りたい!

何もペットがいないことが唯一現在の生活で文句を言いたい点だ。 

時々、主人のあごひげを撫でて気休めするけど、今イチね・・・・・反応がね・・・・。
写真はトマトとサパト (白いソックスをはいているほうがサパト)

Tuesday, June 15, 2010

パニックアラーム

昨晩、さもアフリカらしいと思える出来事が起った。 マラウイらしい、と言った方がいいのかな?

夕飯を食べ終わって、さ〜〜ゆっくりしよう! と思った頃だから7時半とか8時頃。
近所でパニックアラームが鳴りだした。 日本でいったら火災報知器の警報みたいな物だと思ってもらえば良い。しかし音にバリエーションがあってパーフーパーフーから始まってウィーンウィーン、プープープープー、トゥリラリラ、トゥリラリラ、トゥリラリラ・・・・・。これが繰り返されるけたたましい警報だ。 このアラーム、盗難よけに車につけたり、家の防犯用にとりつけたりするもので、この国ではとてもポピュラーだ。 
 
2日前の夜、このアラムーが深夜から朝まで、数分おきに鳴り続いて、寝ては目覚め、目覚めては眠りという腹立たしい夜を過ごした。 私たちの家から100メートルくらいの距離から聞こえてくる。 誰かが車を放置し、窓があいていてそこから風がはいってモーションセンサーが作動、アラームが鳴りだしたのだろう。 それくらい敏感に作動する場合がある。 その日は近所中が睡眠不足だったと思う。もっと近い所の家だったらたまったもんじゃない。 

その悪夢がまた始まった。 前日の夜は起らなかったのに・・・・。

主人は懐中電灯をもって外にでた。 『ダーリン、車をつきとめて、叩きつぶしてきて!』私はそう言って主人を送り出した。 近くまで行ったら鳴り止んでしまってどの車なのかわからなかったと言って戻ってきた主人。 また、5分後、今度は鳴りだすとともに飛び出していった。 

犯人は車ではなく、隣の敷地内にあるオフィスだと言う。 その建物には幾つかのオフィスが入っているが、NGOのオフィスだと警備員が言っているという。 
ビックリするのは、その2階建ての雑居ビル(ビルとはとても呼べないけど)ちゃんとセキュリティー会社から夜の警備員が門のところに一晩中待機している。 なのに何の対策もせずにただ、そこに居るだけ。 開いた口が塞がらない! 自分たちだってうるさくて、そこに居るだけでも嫌になると思うんだけど・・・。 何のための警備員なのか? まったく役にたってない。 

しかし、主人がアラームの犯人をつきとめたのはラッキーだった。 そこのNGO、主人はそこのリーダーを知っているし、その人の奥さんは私の友達でもある。アジアンウーマンズクラブのメンバーだ。 私も主人も必死で電話番号を探した。 
あった〜! 運良く、彼女の携帯番号を見つけた私。 しかし既に10時半をまわっていた。電話をとってくれるかどうか? 

主人は念の為、もう一度アラームが鳴りだしたら電話しよう!と言った。  
アラムーが鳴りだした〜! 電話する主人。 神様ありがとう! 彼女が携帯に出た。 

主人はそのNGOの代表である彼に簡単に挨拶すると、『もう他の誰かが君に連絡しているかもしれないけど、君の所のオフィス、パニックアラームが鳴ってるよ。 そう、今! 2日前は朝まで鳴ってたよ。たぶん、ネズミかなにかが動き回って、モーションセンサーが作動してるんだと思うんだけど・・・・. もちろん、ネズミを追いかけるのは君の仕事だと僕は思ってないんだけどね、どうにかしてもらえるかな〜!』

かくして1時間後にアラームは無事にストップした。 
近所中が胸をなでおろしたのは間違いない。 
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私の友達の家でもパニックアラームが鳴った事があるという。 そのときは暖炉の煙突からフクロウがリビングルームに入り込んで、それがリビングでパタパタしてモーションセンサーが作動したそうだ。 こういう笑い話もある。



Monday, June 14, 2010

朋のつぶやき・・・・・

ちょっと気になったことを書きます。

10年以上日本を離れていると日本について客観的に見えることがある。 以前は自分も同じことをしていたのかもしれないけど・・・・そんなことは棚によいこらしょってあげちゃってね・・・・。

なんでcoming out この言葉だけ英語にするの? 
○○さんが『私はゲイです!』 とカミングアウトしました。
これ、最近すっごく気になるんだよね・・・・。 日本語ですっきり訳せる言葉がないからなのかな? なんでカミングアウトの部分だけが英語になるの? 10年前はそんな言い方してなかったでしょ?

コラボレーション” これもほぼ日本語として定着しているようだよね。 コラボとかって省略したりしてさ〜。

なんかムズ痒いんだよね、聞いたときに。

それから!
ウェブなどで何か検索しているときに思うこと。
日本人は平成XX年と表記するよね。ちゃんとした論文だとか、調査結果だとかの表記に平成・・年って書いてある。 これってさ、そろそろ西暦に統一しようよ! 平成何年って言われても全然わからないんだもの。 

町内会の回覧板とかだったらいいかもしれないけど、論文とか公に公表するものは世界中の人達が見るチャンスがあるのだからさ、西暦で言って欲しいのよ!
え? 
日本人なのに今が平成何年なのか知らない方がおかしいって? 








Saturday, June 12, 2010

モンキーバック、Kipling


先日のアジアンウーマンズクラブ(リロングウェ在住のアジア人婦人の会)のランチで興味深い話題がでた。 セカンドハンド、つまり"中古品"をどう思うかについてだ。 中古の衣類を違和感なく受け入れられる人、と中古の衣類なんて絶対に嫌だ! という人が会話をしていたのだ。 私は興味深く傍らで聞いていた。

Aさん『前に誰がどんなふうに使っていたかわからないもの、気持ち悪いわ〜。』
Bさん『洗えば大丈夫よ〜!』
Aさん『だってあなた、毒とかついてるかもしれないし、針みたいな物が入っているかもしれないじゃない!』
Bさん『毒って?????  どんな毒?』
Aさん『毒よ、毒・・・・』
Bさん『そんなこと気にしてたら、新品の服だって心配しないといけないじゃない? 今時どこで作られて、どうやって運ばれて来たか、わかったもんじゃないもの。 毒だってついてるかもしれないわ?』(私、なるほど! とうなずく)

なんだか微笑んでしまう会話だった。 
私自身セカンドハンドについてどう思うかというと、はっきり言って大好きではない。 が、マラウイに到着したときに友達に、新品のベッド用品は高い割にろくな物が売ってないから、ヨーロパからの中古の良いものを見つけるのよ! とアドバイスされた。 中古の布団? ちょっとな・・・. でも確かに彼女の意見は正しかった。 新品はろくな物がない。 なので中古で質の良いものを見つけて洗濯機で2回洗った。 (この時は洗濯機のある家にいたから) 洋服もそうだ。よ〜〜く洗う、またはドライクリーニング。 洗ってきれいになればそれほど嫌ではない。 去年のチャリティーディナーに着たロングドレスも友達がマラウイで中古で買ったものを私にくれたものだった。 
洋服はきれいに洗えば私は着れる。 靴はいまだに抵抗がある。 ほとんど新品に近いものならオッケーかな?

そんな話をしていたら、友達がベランダに置くテープルセットを探していると言い出した。 翌日2人で中古品のお店を見に行く約束をした。

セカンドハンドのお店で売られているものは、だいたいが外国人がマラウイを出るときに国に持って帰れない家具類、衣類、雑貨類などを下取りにだした物だ。 
テーブルが目当てだったが・・・・ あ、Kipling! 壁にかけてあったKiplingのバッグに目が釘付けになった。 私はこのブランドが大好きなのだ。 グッチ等の高級ブランドバックには全然興味ないけど、このKipling(我が家ではモンキーバックと呼んでいる)に目がない。 前回アメリカに戻ったときも旦那に反対されながらもオンラインでオーダーした。 なんで1つ持ってるのに、2つ目がいるのよ〜? というのが旦那の意見。 だって、形もサイズも全然ちがって用途が違うもの! っと反論。 あなただって大、中、小と3つもトラクター持ってるじゃない!

このバック、なんで好きかというと、私のライフスタイルにあっているし、私の好みのデザインが多いから。これ、もの凄くタフな素材でできている。 2005年に買ったものを今でも毎日使っている。 それこそ、北米、南米、アジア、ヨーロッパ、アフリカこのモンキ−バックは私と一緒に世界中をまわっている。

さて、この壁にかかったKipling。 どうみても古そうで、日焼けして色がまだら。 このメーカーの素材が色あせするほどだからそうとう古そうだ。 でもでもでもメッセンジャーバックというタイプのこのデザイン、特に私が好きなタイプだ。
10秒くらい迷った振りをしたが、私の中では私の4つ目のモンキーバックに決定。 新品だとゴリラのマスコットがついてくるんだけど、この年代物Kiplingにはモンキーはついてなかった。年代物だから今はお店やオンラインでは売ってないだろう。 

家に帰ってから自分で2回手洗いした。 確かに色が所々セピア色になっているが、それ以外は問題ない! フフ! すっごく好き!

私の年齢で私ほどハンドバックと呼ばれるちゃんしたバックをもっていない女性も少ないだろう。 そのかわり、このKiplingは幾つでも欲しい。

主人が帰って来てルンルン報告した。 
『モンキーバック買った! 2000クワチャだった。』(本当は2250)
『2000クワチャって結構なお金じゃない?』 と主人。 『だからモンキーバック買えたの!』と、なんだか意味のわからない言い訳をする私。

『君はお金をセーブするっていうことを知らないよね。』 『知ってる。あなたがセーブして私が使う。これよ!』 『あなた今日は家に帰ってきてランチ食べたでしょ! 節約したよね〜。 だから私がモンキーバックなの! ルンルンルン!』
主人の呆れた顔・・・・・。


旦那、『僕、このバック好きじゃない・・・・。』 『良かった! 私、専用!』

間が悪いっちゃーこういうこったね・・・・

高い授業料を払った車の名義変更、翌日、主人の部下が奔走してくれてナンバープレートを手に入れるところまで終了した。 だがまだこれで終了ではない。最後にイグザミネーションがある。 この国でこんな車の点検があるとは知らなかった。 これにパスしてステッカーをもらわないと運転できない。 
翌朝主人がナンバープレートの1つを車の前につけてくれた。 もう1つは後ろ用だがこちらは鉄板のプレートに穴を開けないとつけられないので、週末につける事にして早速車検場に出向いた。
車検場についた時は私が一番だった! やった! これならすぐに終わるかもしれない、という期待は物の見事に・・・・・。 
検査官を待っていると、何人ものマラウイアンが私に車の備品を売りに来る。 非常用の三角形反射板やステッカーの反射板、ワイパー等・・・・・。 毎回断るのに疲れる。”いらないっちゅーの!”

ところが、係の人がやっと出て来てくれたと思いきや、”あ〜〜あ〜〜、ナンバープレート、ちゃんと付けてから来てよ〜!” と追い返される。 一番だったのに、移動を命じられる。

ここで待ってましたとばかりに、こういうルールを知らないアズング(外国人)相手の商売をしているマラウイアンが意気揚々と登場! まずはその場でナンバープレートを付けてくれるという。商売商売。 それにさっき断り続けていた反射ステッカー、これ、ついてないと審査にパスできないんだって。 前後のバンパーにこの反射ステッカーを貼るのがこの国のルールだという。

すぐに駐車場でナンバープレートに穴あけて固定。 ステッカーを貼る。 チ! 600クワチャもとられちゃった。 

気を取り戻して列に戻ると、すでに大勢の車が順番待ちをしてる。 あ〜〜あ・・・・。
しかし、私のバッドラックはここで終わらなかった。

私の車はテストにはすぐ合格したのだが、その合格を証明する証明書が印刷されるまで1時間かかると言われ、一時間そこで待つ。 だが、言われた通りにできるわけないだろうな〜? という予感どおり、1時間後にはできていなくて、午後の2時にとりに来いという。 3時間もある。 

迷った結果、家に戻る事にした。 ハウスキーパーに翌週の交通費を渡さなくてはいけなかったので。 電話で月曜日の片道分のバス代だけ立て替えてくれないか聞いたのだが、その180クワチャを持っていないと言い張るのだ。 100円ちょっとのお金を持っていないという。 本当かな? 誰かに借りられないの? じゃ、ここまでとりに来て? そう頼んだが、自分が3時間もこのホコリっぽい場所で待つのは嫌だったので家に戻る事にした。

車はまだ手続き完了していないから、運転できない。 なので駐車場において徒歩で家まで向かう。 30分歩いた所でハウスキーパーと出くわし来週分の交通費を渡した。 そのとき誰かトラックの運転手が私に手を振ってる。 さっき一緒に証明書を待っていた男性だ。 私を見つけて、”証明書できてるよ! すぐに行きな!” と言うではないの。 何〜? あの場所であと少し待っていたら! 家に戻ろうとしたのは悪い決断だった!

私はすぐにミニバスに乗って引き返した。 

狭ーいオフィスに出来上がった証明書を入れる箱がある。 何度チェックしても私の証明書がその中にない。 係の人に聞いても、さっき、見たよ、君の。 と言うばかりで誰も探そうとはしてくれない。 オフィス内に何十人もの人がいて混沌としている。列もなければ順番もない。 ただ、人が押し寄せ、押し寄せ、自分の証明書を待っている。  私の検査官が通りかかった。 ”あの、私のはまだですか?” と聞いても、”あれ、さっき出来上がってたの見たけど?” 

私はだんだんイライラしてきた。 あと15分でランチタイム。 オフィスはクローズしてしまう。 なんとかしなくてはと焦るばかり。 少しずつだが人の数が減って来て、証明書をプリントする人がやっと私を相手にしてくれた。 何? なくなった? ナンバープレートの番号は? 嫌そうにコンピュターでもう一度入力、そして再度プリント。 そして私に手渡してくれた。 ”ありがとう! あ、でも審査にパスしたっていうサイン、ここに、お願い!” 嫌々、でも、サインしてくれた。ありがとう〜! もうハグハグしたいくらい! やった〜、これでお金をキャッシャーで払えばステッカーがもらえる。 

旦那に電話した。 私は”紙がなくなってしまって、4時間もかかり、最後にもう一度プリントしてくれた....” と一気に話したのだが、主人は私を遮って、”朋、朋、ジョンが君の証明書を既にピックアップして、お金も払った。 ”???????????????”  ガ〜〜〜〜〜ン!

できあがった証明書がなくなったとおもったら、主人の部下、今朝私をこの場所に連れて来てくれて手順を教えてくれた、その彼が心配になって戻ってきて、その時に偶然証明書が出来上がった! っていうことらしい。 50分ほど私がいなかった間だ。 なんで〜! なんで電話してくれないの〜?

私は頭にきて不機嫌になってしまった。 君を助けようと思ってしたことだよ・・・. でも連絡してくれなかった! 君は電話で家に戻るって言ったじゃない。

4時間もかかったのは驚かない。 こういう場合、1日で終わればラッキーと思ったほうが良いだろう。 しかし1人で、あの車検場で右往左往してパニックしていたアジアのアズングが、あんまり可哀想じゃない? 

1つだけラッキ−だと思おう。 会計所がお昼休みで閉まってしまったので、証明書を再発行してもらった私は5000クワチャはまだ払っていなかった。 もし会計が開いていたらジョンが払った後に私までダブルで払ってしまうところだった。 

ダブルで払ったとしても絶対に発見されないと思う。 だって私、証明書が見つからないので会計まで行ったもん。でもコンピュターで、”あ?もう誰かが払ってますよ!” とは言われなかったもん。

これがアフリカだ。
ジョンが悪いわけではないし、主人が悪いわけでもない。 彼らが仕事中で忙しいだろうからなるべく迷惑をかけないように、1人で頑張ったのが完全に裏目にでてしまっただけだ。あんまりイライラしたもんだから、片頭痛が始まって、旦那に不機嫌に八つ当たりだ。 ジムを怒ってるわけじゃないのに、主人は私が怒ってると思ってるようで週末は冷戦状態が続いている。

明日の日曜日はジムの甥の友達(アメリカ人)を招いてディナーだ。 
喧嘩してる場合じゃないんだけど・・・。

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ジョンがとってきてくれたステッカー。 日本やアメリカのようにシールになってない。 自分で紙を切り抜いてテープで車のガラスに貼るらしい。 今朝、それをしようと思ったのだが、もう一度誰かに確認してからにしようと思い、車に入れて買い物にでた。 ナンバープレートもついているし、お巡りさんにとめられることもないだろう! と思ったから。

ところがだ、しばらく運転していたら3日前に私の車をとめて5000クワチャの罰金をかした、その女性お巡りさんがまた前方で私を手招きする。 あちゃ〜〜〜! 私? またですか〜!
路肩にとめた。 ナンバープレートもつけたし、ステッカーも・・・ステッカーもここにある。 今からテープを買いに行くところ! (嘘も方便)

ベリーグッド! そう言われたよ。