日本に居る母に電話して粉の出る布について相談してみた。
昨晩、リビングルームの床で80%裁断を終了したのは良いが、今朝起きてきてリビングルームの遠くのほうまで黒い埃が床一面に散っているのがわかった。
先ずは掃除・・・・・。
裁断した布のピースを外に持って行ってパタパタはたく。 網戸掃除用のブラシを持って来てそれで布の表面を撫でてみたり....。 家中が黒い埃で覆われるのは最初だけと信じたいものだ。
母に聞いてみた。『ベルベットとかベッチンとか裁断する時に粉が出るよね?』
『そんな布、見た事ない。』 と、母。
そうですか、母の洋裁経験でもこういう布は見た事ないのか・・・・・・。
結局、最後には『もう裁断までできているのなら、頑張って仕上げるしかないでしょ!』 母にそう諭され、私はこのチェアカバーを仕上げる決心がついた。 なんだかこういう時の母の言葉には妙に癒される。 一緒にいると喧嘩になるのだが、離れて何か相談する時はとても素直に聞けるんだな母の言葉・・・・・娘は。
日本大使館から電話が....。 『キャンベルさんは向こう岸のコンゴ共和国(ブラザビル)のビザをお持ちですか?』 という質問だった。(コンゴは民主共和国とコンゴ共和国と2つある。 私達が今いるのはコンゴ民主共和国 DRCと呼ばれる。 コンゴ共和国のほうは西側で区別するために首都の名、ブラザビルと呼ぶ場合が多い。)
とってません。 選挙の時にコンゴ共和国に避難する可能性を否定できないので、大使館は日本人にコンゴ共和国のビザをとるように勧めているのだ。 有事の際はフランスのヘルプで船でコンゴ共和国ブラザビルに避難・・・・。 そういう筋書きらしい。来週、大使館にて避難に関するミーティングが行なわれるとのこと。
コンゴ共和国のビザは申請すれば3日程でとれるらしい。 が、日本人ご一行が一緒に避難するとしたら、ジムはいったいどうなるの? 『旦那はアメリカ人なんですが、一緒に良いですか?』 な〜〜んてさらりと聞いてみたが、やっぱり電話で即答はもらえなかった。 当然ですね。 『アメリカ大使館には問い合わせしましたか?』と。 ジムは1996年、ギニーにて有事発生、その際にホテルに滞在していて、銃撃戦の中アメリカ大使館のゲートまで必死にたどり着いたは良かったが、門前払いされた経験があってアメリカ大使館は当てにしてはいけない、そう思っているのだ。
こういう時は国際結婚は結構ややっこしいな。
だいたい選挙のゴタゴタが始まる前にジンバブエに移動する予定だったのが、労働許可申請のお陰て先が見えなくなってしまったわけで・・・・。 昨日の午後の段階で労働許可の申請に結婚証明証を提出しなくてはいけない・・・・と言ってきた。 だから言ったじゃんマリッジサーティフィケートが必要だよって。 たぶん今までのIMC出向者の中にワイフを連れている人がいなかったのだろう。 2〜3週間時間を無駄にしてしまった。 今日の段階で結婚証明をメールで送ったので、これから手続きが始まるってわけだ。 トホホ・・・・・・。 今から6週間?弁護士をたてて、急いでもらってもやっぱり選挙の開票の時はキンシャサにまだいるだろうな......最悪。
ブラザビル行きのビザを検討しなくてはいけません。
この地図古いね・・・・。 コンゴ民主共和国がまだザイールって呼ばれている頃のものだ。
スーダンももちろん分かれてない。 でもブラザビルの位置が解りやすいので・・・・。
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