仕事から帰るとダイニングで主人が子ヤギをバスタオルに包んで哺乳瓶でミルクをあげていた。
『あ〜〜やっと帰って来た。 さ、君の番だよ!』 と子ヤギを手渡された私。
大の男が子ヤギを抱いてミルクをあげてる姿って、そう見られるものではないな、って思ったものだ。
夫婦で子ヤギの世話をするのってなんだか”ゆたか”な気持ちになるな〜って思った。(その後、この子ヤギは私をお母さんだと思い込み大変だったのだが・・・)
2つめは、
前年にとれた真っ赤なポピーの種をバケツに1/3程とってあったので、種蒔きをした。
カリフォルニアの郊外なので庭は広い。 種蒔き機というハンディーな機械があって、そこに種を入れ、把っ手をクルクル回すと種が前面に飛び出す構造になっている。私がクルクル種蒔き機を回し、主人がバケツの種を機械に補充してくれながら、2人で庭を歩き周った。 同じ場所に蒔かないように気をつけながら。
真っ赤なポーピーに埋め尽くされた庭も見事だったのだが、種蒔きをしているその瞬間のイメージ、その光景が生涯わすれない”ゆたかな”一時のイメージとして私の頭に焼き付いている。
今までの生涯でパッピー(ゆたか)な瞬間を思い浮かべてください、と言われたらこの種蒔きの時のイメージが頭に浮かぶ。不思議なことに満開の花のイメージではなくその前の種蒔きなんだな。
私にとって、”ゆたかさ” とは大事な人と何かを一緒に育んでいるその瞬間のことをさしているような気がする。
悲しい時、心が壊れてしまいそうになった時、私はこの”種蒔きシーン” を思い出す事にしている。 イメージには癒しの効果があるらしいから。
そう考えると、自家製納豆はジムとは一緒に育めないので、これは私の”ゆたかさ” 定義にはあてはまらないことになるわけだ・・・・。残念だな。(昔の彼氏は納豆が大好きで一緒に食べたんだけど・・・・!)
写真は2006年、2人で蒔いたポピーが花開いた時の光景。
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