Thursday, September 30, 2010

もう、気が抜けちゃった・・・・・今スーツケースをあげるわけないでしょ?

ハウスキーパーさんとの関係にストレスを感じている今日このごろ・・・・・。
一時、ハウスキーパーを換えようかと思った時期があった。 あまりに何も感情を現さないタイプなので、コミュニケーションが噛み合ないのだ。 が、お願いしたこと(だけは)ちゃんとやってくれるし、嘘はつかない。 これ以上、何を期待するか? 彼女以上に満足できる人を見つけることのほうが難しいかもしれない、そう思うようになった、今日この頃。

時々、彼女にキッチンで余ったものなどを家に持って帰ってもらうことがある。 彼女用に袋に詰めて置いておくのだが、私が忘れずに ”これ、持って帰ってね!” という時は良いのだが、それを伝えるのを忘れた時でもしっかり持って帰っている。 これはちょっと私として気分が悪いのだ。 なので、先週彼女に伝えた。 昨日、私が外出中に仕事が終わって帰ったのはいいんだけど、ここにあった袋、あなたにあげようと思って分けておいたのは確かだけど、伝えるのを忘れたの。 もしかしたら誰か他の人用に分けておいたものかもしれないじゃいない? 私が何も言わない時はあなたから私に聞いて欲しい。そう説明した。自分で判断を下さないで欲しい。 苦笑いしている彼女・・・・。だって持って帰った翌日も何も言わないし、それはなんだか人間対、人間のやり方とは思えないから。

明日からバケーションなのでハウスキーパーさんはしばらく有給休暇ということになる。 給料は月末払いだが明日は出発なので、今日が最後の日としてお給料を支払った。 来月は1日しか働く日がないが、こういう場合、お給料は全額支払う。ジムが先に戻ってくるので、そのあと彼女は普通通りに働くことになる。

今日は朝から停電が続いていてアイロン掛けができない。 彼女は毎日の日課が終わった様子で電気が復旧するのを床に座って待っている。私はお給料の支払いをした。 が、支払った後彼女は着替えを始め、帰ろうとした。 ”エッ、ちょっと待って” 彼女を呼び止めた私。”まだ11時10分でしょ?” アイロンをかけなくてはいけない衣類が山積みになっているというのに。 明日から1ヶ月も自分は休暇だっていうことを理解しているはずなのに、そのまま帰ろうとするのはあんまりじゃないの? 
もうしばらく電気が復旧するまで待ってくれるように頼んだ。

私は明日の出発に備え、スーツケースやらトランクやらを床に広げて、ネームタグの点検、空港フレンドリー用のスーツケース用鍵の点検やらに忙しい。 目一杯荷物を持って帰って来るためにはジムも私もチェックイン用の大きなスーツケース、ダッフル、トランクなど、空の状態でアメリカまで持って行かなくてはいけない。 帰りはどれもいっぱいに荷物が詰まる。

2日前にホコリをかぶった3つのスーツケースをひっぱり出して、キーパーさんにきれいにしてもらっていた。 最後の1つ、どれを持って帰るか迷っていた私は昨日の朝、ダッフルにしようと決め、それもキーパーさんにホコリを拭いてくれるように頼んだ。(他の物と1日ずれてお願いした)

今朝、ダッフルにネームタグをつけようと家中を探したのだが、昨日彼女に手渡したダッフルがない。 どこの部屋にもない。
”昨日、きれいにしてくれた大きな黒いバックはどこ?” 私は彼女に聞いた。
彼女のいつも笑わない顔が照れのせいなのか、少しだけ笑ったかのように見えた。
???????

彼女は私がダッフルを彼女にあげたのかと勘違いして家に持って帰ってしまったのだ。
昨日、たしかに、ジムのシャツ、私のジーンズ等、もう着ないであろうと思った衣類を山の様に彼女に手渡した。 殆ど新品の物ばかり。 10着くらいはあったと思う。その後しばらくしてダッフルのお手入れをお願いしたのだが・・・・。
それを手渡した時にダッフルももらったものと思ったらしい。 な、はずないだろっ!

問題は彼女に何かあげても”ありがとう” と言わないから、私がダッフルをクリーンアップしてね! とお願いした時、彼女は ”オッケー” と言った。(このとき、彼女はこのダッフルを家に持って帰ってね!と言われたのだと思ったらしい。) 何も不思議でなかった。 もし”ありがとう〜!” って言われたら、それはあげたのではない、と直ぐにミスコミュニケーションであることが判明したのだが・・・・。 

私としてはショックだった。 あきれてしまってなんだか気が抜けてしまった。
”直ぐに家にとりに行って頂戴” 私はバス代を片道だけ渡して彼女を家に戻した。
だからコニュニケーションが大事だって言ったのよ。 自分で判断しないで欲しいと。 

なんだかまた彼女をこの先使っていく自信がなくなってきた。

彼女がダッフルと一緒に戻って来たら、はっきり聞いてみよう。あなたはどう見ても、ここで働いてハッピーに見えないんだけど、続けたいのかどうか? もし続けたいのであれば、自身を変えていかなくてはいけないこと。 挨拶やコニュニケーションが大事だっていうことを理解してもらわないと、私としてはとても心が乱れるから・・・.
でも言っても変わらないだろな???




 

Sunday, September 26, 2010

無事に戻れて良かった・・・ゾンバ行き






リロングウェから南に4〜5時間ドライブした所にゾンバという町がある。 かつての首都だった町だ。 金曜日に日帰りでゾンバまで行く予定だったジムは急遽予定変更。 私も一緒に1泊泊まりで行く事になった。 アメリカ、オクラホマから助っ人として出張してきているコントラクターの女性(アカウンタント)を同行して、今回のTEWALERE プロジェクトのサブベネフィシャリー(援助金の一部をもらって一緒に活動する団体)であるNGOと最後の契約を結ぶことが目的だ。こういう時にワイフを一緒に連れて行くのは凄くアメリカ的だと思う。 日本だったらあり得ないもの。
金曜日、ランチを買い込んで私たち3人はゾンバを目指した。 途中、道端で木彫りの置物を展示販売している場所があったので、そこだけは停車して少しばかりのお土産を買った。
宿はゾンバの町中に2部屋とったのだが、1人部屋の彼女の部屋に大きな蜘蛛がいっぱいいるといって、彼女は不安がった。 幸い私たちの部屋には全くいなかった。 (洗面所に1匹だけ) 翌日彼女の部屋を見せてもらうと、なるほど、これが・・・・。 ハロウィ−ンのデコレーションに使う、プラスチックの蜘蛛そっくり。 紙のように平べったく、直径10センチほどある。 ステッカーのように真っ平ら。 私がもしこの部屋だったらドキドキして眠れなかったであろう・・・・。

サブベネフィシャリーとの契約も無事に終了し、帰路につこうとしたときだ。
給油をしようと思ったのだが、行けど探せど町中ディーゼルがない状況だった。 このままではリロングウェまで帰れない。 土曜日だったのだが、リロングウェにいる部下達に電話をして、周りの町にディーゼルが売っていないかどうか手分けして調べてもらう。
地元のNGOのドライバーにも電話して、どこか特別なつてがないか訊ねる。 このドライバーさん、とても良い人で土曜日、彼は自分のスキルアップの為にクラスとっていて、その授業を抜け出して駆けつけてくれた。
特別な”つて”の2件目でやっとディーゼルを20リットルだけ買う事ができた。ラッキーだった。 

そんなこんなで遅いランチを食べて直ぐに帰路についた。 ジムを休ませようと運転を交代した私。 チェウという町のダウンタウンを通過しようとした時だ、対向車が私の車線の側にあるガソリンスタンドに突然突っ込んできた。 私が直進しているのにだ。 何を考えていたのか、このドライバー? 私は思い切りハンドルを右に切って、右の路肩に突っ込むかたちでギリギリ正面衝突を免れた。(マラウイは日本と同じ、左側通行) 危機一髪だった。後続車もあったし、どこにもぶつからなかったのが不思議なくらいだ。 しばらく心臓のバクバクがとまらなかった。ガーディアンエンジョル達、守ってくれてありがとう。

マラウイの郊外は路線に街頭がない。 だから真っ暗。50キロ制限の道を皆だいたい90〜100キロ/hのスピードで飛ばして行く。 真っ暗な中でも人が路肩を歩いている。 見えない。 とにかく見えないのだ。 自転車も人も反射板がないから闇にしみ込んで全く見えない。 対向車がハイビームにしたまま迫って来る時などは、もっと周りが見えなくなってハラハラする。 

大きなトラックの後ろについてしまう場合は抜かしていかなくてはいけないし、それももの凄いスピードで抜いて行く訳だから、とにかく神経がぴりぴりしてしまう。 ジムは私の運転を見かねて自分が運転する、と言い出した。
疲れ果てているジムを休ませたかったのだが、ジムのほうが視力が良い。 私は運転を諦めた。
ヨレヨレ、クタクタの帰り道だったが、契約書にサインももらったし、無事にリロングウェに戻って来られたので、3人でリロングウェのステーキハウスで夕食をとる事にした。 夕べ食べたビーフがあんまり美味しくなくて、ジムは美味しいステーキで締めくくりたかったようだ。

翌日日曜日。 ジムは10時間近い運転とオーバーワークで見るからに過労状態だったが9時ころ、出勤していった。 バケーションまであと4日。それまでに片付けなくてはいけない事が山ほどあるらしい。 バケーションをとるのも楽じゃない......。


写真は途中、車の中から撮ったバオバブの木だ。 日本にいる姉(シスターインロー)の幼稚園の発表会用のプログラムデザイン、モチーフにバオバブの木を使ったので、なんとなくバオバブが気になったのだ。 とっても絵になる木でとても魅力がある。 なんだか魔法使いでもでてきそうな雰囲気があるんだな。

その他、ゾンバの町中で見た薪を運ぶ少女達、ジャコランタの花、そしてマラウイで一番美味しいと思う、カフェでのチャンボ。 (リウォンデという町にある小さなカフェ)私としては予定外の楽しい週末となった。

最後の写真は行きの道ばたで買った木彫りのお土産。 ジムはお面が気に入っているようで既にコレクションができている。 私はキリンの彫刻が好きだ。







 

Thursday, September 23, 2010

新種の犯罪手口

今日は朝の8時から夕方4時まで停電です、という通知がまわってきた。電気システムの工事をするらしい。こんな通知が来るのはめずらしい。
早起きしてインターネットやらコーヒーやら目玉焼きやら、8時までにできるだけ電気を使うものを終了させようと頑張った。 ハウスキーパーさんも7時55分に到着して、真っ先にアイロンかけをしてくれた。 だが、いつなっても停電しない。 しないに越した事はないのだが、通知なしで停電するよりは通知した時にしっかりと修理して欲しいと思うのだが? へんなの?

数日前に大使館から防犯についてのメールが回ってきた。 新しい手口の犯罪についてだ。 それと時を同じくしてマラウイアンの友達からもメールが来た。 内容は同じだった。
走っている車をなんとか停車させてドライバーを外に出させ、そのスキに車内の物を強奪したり、女性の場合草むらに引き摺られレイプされたりするという恐ろしい犯罪が起っているらしい。 停車させるための手段として、道ばたに赤ちゃんを置いたり、チャイルドシートを置いたりするらしい。 捨て子を装ってだ。 そりゃ、停まるでしょ、もし赤ちゃんが置き去りにされてたら。 それも市街地でなく、もっと僻地のほうでの話だもの。 
しかし、いかなる場合も停車してはいけない。 スローダウンするのも駄目。絶対、停まるな!
直ぐに通り越して警察に連絡するように、と書いてある。

もう1つは生卵だ。 生卵をフロントガラスに投げつけて視界を遮る。 たいていの人はワイパーを作動させるだろう。 だが、ワイパーでは事態をますます悪化させ、完全に前が見えなくなる。 停車せずにいられない。 停車したら最後、襲撃される。こんなの嫌だわ〜、もしやられたら。

どんなことがあろうとも停車してはいけない。

先日、アジアの会のランチョンに友達の家までドライブしたのだが、1時間程遅れて到着した。あれ、彼女の家の番号は何番だっけ? と門の前で戸惑っていた私を、こっちこっちと手招きする男性がいた。 私は彼女の家の使用人が門の外でお客さんを誘導しているものだと思った。 窓をあけて確認しようとしたら、窓に手をかけてきてお金を請求してきた。 びっくりだ。 彼女の家の使用人じゃない。仕事を探していて、それに現金も欲しいという。 私は直ぐに窓を閉め、友達に電話してセキュリティーの人を門の外まで迎えに出してくれるように頼んだ。 家は2件ほど隣だった。

後で思えば、彼は外国人の家で雇われていたコックだったらしい。 職を失って、外人達が集まる場所に来て、職探しをしていたらしい。 お金も欲しいと言うその態度があまりにも強引で窓にまで手をかけてきたから、私はメールの注意事項が頭をよぎって過剰に反応してしまったのだ。 少しのお金を渡せば済んだことだったのに・・・・.
難しいのだ。 その判断が。

しかし念には念をいれて気をつけてちょうどいいだろう。 少し慣れた頃が一番危ないのだから。

Tuesday, September 21, 2010

母へ贈るエプロン



夕べジムは残業で帰宅が遅かった。夕飯はサンドイッチか何か買ってオフィスで食べるからいらないと・・・。夕飯として用意していたマカロニグラタンは私1人で食べることになった。 (あまり美味しくなかったのでちょうど良かった)

よし、時間ができた。夕飯の後エプロンの裁断にとりかかった。 裁断さえできてしまえば、後はミシンで縫うだけだもの・・・。 裁断は上手くいった。 そのあと停電。 やっぱりね。 アイロンが使えない。

ジムはヨレヨレになりながら9時半に帰宅。 もう口をきく元気も残ってない様子。 このままだとバケーションまでに燃え尽きてしまいそうだ。 

翌日、停電の合間をぬってミシンとアイロン作業に集中する私。 

できました! ジムのオフィスのタペストリーを作った布の余り布を使い、濃紺の裏地を合わせてリバーシブルエプロンの出来上がり。 裏地が結構しっかりした布なので重たく感じるけど・・・。

母へのお土産ができました。 気に入ってくれるといいな。




Monday, September 20, 2010

母からのお願い 手作りエプロン

日本にいる母に電話をした。 来月私が帰る日を指折り数えて待っていてくれる母。
そんな母にお土産は何がいいか訊ねたところ、ジョセフシュミットのチョコレートが欲しいという。 このチョコレート、サンフランシスコで作られていて、ハーシーのKiss Chocolateと並び私の一番好きなチョコレートでもある。 手作りのチョコとハンドペイントの箱がなんとも愛おしこのチョコレート、オンラインでオーダーしようかと思いきや、この会社がなくなってしまったことを知った。 もう二度とあの可愛くて美味しいチョコレートにお目にかかることはできないようだ。 残念でしょうがない。 


もう一つ、母が私にリクエストしたものは、意外や意外、エプロンだった。 マラウイに到着した頃にミシンを買って、最初に作った私の作品がリバーシブルのエプロンだったのだ。 現地物の派手なプリント柄の布を買って、面白がって幾つも作った。 母は”針と糸の神” みたいな人なので、そういう母に私の作品を提出するのは結構勇気のいることなのだが、幾つか練習を重ねて一番きれいにできたエプロンを日本に送った。 やはり有り難きは母なり。 私の稚拙な作品を心から愛でてくれ、そのエプロンを今でも毎週通っているソーイングのボランティアに着て行っているというからなんだか感動してしまう。 派手なオレンジ色と黒のコントラストのはっきりしたエプロンは日本で着たらかなり目立つだろう。 『あら、変わったエプロンしてるのね? どこで買ったの? それとも作ったの?』 と洋裁仲間に問われると、待ってましたとばかりに、『これはね、アフリカにいる娘が現地の布で作って送ってくれたのよ!!!』 と得意げに話しているにちがいない。 母の姿が目に浮かぶ。 現在85歳。 現役のボランティア。

そのエプロンがもっと欲しいと言うのだ。 これには私も驚いた。 もう作り置きはないし、出発まであと10日しかない。 『布を買って帰ろうか?』 という私の言葉に”自分ではもう縫いたくない!” という返事がかえって来たから驚いた。 まだミシンは使っていると思うのだけど、今まで聞いたこともない母の言葉だ。

物心ついてから家を出るまで、母は数えきれない程私の服を作り続けた。 次から次へと作り続けるから次のデザインを考える暇もないほどだった。 しばらく何も作る物がないと、悲鳴をあげて、『早く次ぎのデザイン決めて頂戴!』 と催促されたものだ。決められない時は同じデザインで違う色、なんていう事もあって、同じジャケットが何枚も出来上がったっけ。 

そんな母に育てられた私、母から何か作って欲しいと頼まれたのは50年の間で初めてだ。 電話ではできるかどうかわからない・・・・と告げたけれど、電話を切った後になって、なんだかじわ〜〜〜〜っと胸が熱くなった。 作ろう。 何がなんでも作って持って帰ろう。 85歳の母が私にお願いした最初の作品だもの。 

今日は朝からオールドタウンへ裏地を買いに走った。 アフリカらしい、明るくて元気のでるような柄のエプロンにしようと思う。 

Sunday, September 19, 2010

日本のサービスったらもの凄い

日本について思うこと。
10月に日本に2年ぶりに帰る私は色々準備を進めているのだが・・・・・。 箱根にジムを連れて一泊しようと思い、オンラインで宿の申し込みをした。 
これがだ、ものすご〜〜〜く複雑なのだ。 選択肢が100個くらいあるもんだから、理解するまでにもの凄く時間がかかる。 支払い方法なんて何通りあるのか? それも選択した支払い方法によって、全て支払い期限が別だっていうからもう・・・・・.

前回2008年に日本に帰った時も私は浦島太郎状態で街角でまごついたのを覚えている。 
日本の”痒いところに手の届く”サービスは世界一だと思う。 が、時として度を越しているのでは? と思えるサービスは浦島朋子を狼狽させる。だって、あなた、トイレでお尻まで洗ってくれる国なんて他にある? マラウイじゃ、トイレの穴の横にトウモロコシの芯が転がってることもあるっていうのに・・・・。 
便利と引き換えに”なんだこりゃ?” と思うほど使い方が複雑で、頭を抱えて考え込んでしまう。私としては機械に弱いほうだとは決して思わないのだが・・・・。 (経理課30人の中で私が一番機械系に強かったほうだもの。)
2008年にガソリンスタンドで給油した時のこと。はは〜〜ン、日本でもセルフサービスのシステムが出来たのね、自分でポンプを使うのなら、任せて! と思いきや、支払い方法は複雑怪奇以外の何ものでもなかった。 給油ポンプを掴んだまま支払いシステムを理解しようと頑張ったが、日本語は読めるのにその手続きの複雑さに根をあげて、思わず言ってしまった、『これって、この説明を読んで、理解できる人っているの?』 ガソリンスタンドのお兄ちゃんは返答に困った様子。 『皆わかるんだ、どうやるのか? 凄いわ。』ブツブツいう私。
結局、そのお兄さんに説明してもらって、どうやったらセルフサービスで支払いができるのか教えてもらったが、3台の機械を使わないと現金で払っておつりを受け取るところまでいかないことが解った。 先ずは1台目の機械で支払い方法を選択。現金の場合はお金を機械に投入。 そのあと給油。出て来たレシートを持って、3台目の機械のある場所に移動。レシートを入れるとおつりがでてくる。 これを説明するための指示が機械にびっちりと書き込んであるのだが、それを全部読まなくてはいけないかと思うと、車を乗り捨てて、歩いて帰りたくなる。こういうこまか〜〜い指示に従って皆が文句を言わずに従っているのは日本のお家芸だと言っていい。 アメリカではあり得ない。

日本に帰るたびに電車の乗車券のシステムが進化しているのもまた私を戸惑わせる。 小田急線もJRも同じプリペードカードが使えるようになったのは有り難いのだが、そのカードを買うのに『記名、無記名』 なんていう選択肢が突然画面に出て来て、”何これ?”と悩む私。 だって、突然何の前触れもなく、記名ですか? って聞かれてもね〜....。 もたもたして後ろの人に迷惑をかけてはいけないと思って、恥も外聞もなく、後ろの男性に聞いちゃいました。 これってどうしたらいいの?って。

外見が外人ならまだしも、見た目が純日本人のおばさんだから始末に悪い。 恥ずかしい。
こんなこともできないの? って思われちゃう。 

10年以上日本を離れています、私。今回はアフリカから来ました。 日本語は読めますが、ちょっとまだ日本のシステムに慣れていません。
 
こういう札でも首から下げるかな?
 

お国柄の違い

お客さんディナーが無事に終了した。 
7名のディナーというのはやはり簡単ではなかった。 そう心していたから私は驚きはしなかったけど、ジムったら、やっぱり男の人って視点が違うのよね〜〜〜。 そう思った。

予定の時間を過ぎて現れたマラウイアンの2組のカップル。 やはりアフリカ時間なのだろう? 予定はいつも予定。 遅れる・・・・。
2人のマネージャーさんと奥さん達、1人は5ヶ月の赤ちゃんを連れて来た。
お客さんが全員揃った時にジムがなんだか、キッチンでそわそわしている。 『あ〜〜グラスはどこ? もっと必要なんだけど? ワイングラスももっとないの?』

『グラスはテーブルの上にあるもので、全部だから。』 私は最後のメインディッシュの調理に集中しながらジムのアワアワしている姿を見ないように言い放った。 我が家には6つのグラスと6つのワイングラスしかない。 ディナーセットだってどれも6名分しかないの。 なのに7名のディナーを企画したのはあなたでしょ? 何もわかってない・・・・。 心の中でそう思った。
6名以上のディナーをするのなら、もっとちゃんとグラスや食器を買ってからにして欲しいものだ。

さて、注目のマラウイアンの嗜好だが、スパイシーフードなんて食べません! と言っていた彼が一番タイカレーをお気に入りのようだった。 が、もう1人のマラウイ男性はどうもカレーは好きでなかったようで、ビーフ&ブロッコリーに集中していた。 良かった、2種類用意して。
同伴された2人のワイフだが、2人とも何も話さない。 ただ ”私は連れて来られた・・・・” という感じで食べて座っているだけ。 特に1人の女性はディナーテーブルでそっぽを向いたまま、(壁の方や後ろをキョロキョロしている)我々の会話も完全に無視を決めているようだ。 アンタイソーシャル。 たぶんアズング(白人)の家に招かれたのも初めてなのだろう。 座っているだけでも苦痛です・・・という雰囲気を十分に醸し出していた。 

そんななか、2回目の招待客であるアメリカ人女性は1人で一生懸命私の手料理を褒めてくれた。 食べている最中に何度も。 しかしマラウイアンは何も言わない。美味しいのか、美味しくないのか、全く反応がない。それもお国柄だから何とも思わないけど・・・。 でもおかわりしているところを見ると、気に入っているのだろう、たぶん。

この国の人はあまり感情を表に現さないのだ。 ”ありがとう” もあまり言わない。 嬉しいのか嬉しくないのか、表情を読むのが結構難しい。 例えばハウスキーパーさんにお給料を払う時も彼女は黙って現金を受け取るだけ。 こちらは『ありがとう』 という。
こんな事もあった。お給料の前借りを頼まれてまとまったお金を手渡さなくてはいけなかった時、あいにく、我が家のセキュリティーボックスのバッテリーが切れて、扉が開かなくなってしまい、用意していたお金が取り出せなくなった。 しかたない、私はハウスキーパーをつれてATMまで一緒にいった。 あいにくマシーンが動いていなく、2人で30分も待つはめに・・・・。 やっと機械が動き出して現金を手渡した時、私はホッとした。 その場で彼女に現金を手渡すと、彼女は『See you next week』 とだけ言ってにこりともせずに踵を返した。 ?????もしかして怒ってるの? 前から給料の前借りを頼んでいたのに用意していなかった(用意していたけどセキュリティーボックスが開かなかっただけ)私を責めているのか? どう見てもそういう態度だった。時々どっちがボスなのか? って思う。
ジムに話すと、お国柄でしょ? そういう返事だ。

こういう感じが毎日だから、私も随分なれた。 特に気にしないようにしている。 アメリカや日本のソーシャルスキルと比べてはいけないのだ。


Friday, September 17, 2010

マラウイアンを招待してのディナー

先週に引き続き今晩もお客さんディナーだ。 私たちを入れて全部で7名のシッティングディナー。 これって結構チャレンジだ。台所や鍋釜の容量からいってギリギリっていう感じ。
アメリカから出張者が来ていて、毎日事務所に缶詰状態で仕事をしている。  
先週、そのアメリカ人女性と他のマラウイアンスタッフ2名を招待し家で会食したのだが、今晩は違うマラウイアンスタッフを招待したい、とジムからリクエストがあったのだ。同じメニューで良いよね! と思いきや、出張者はホテル住まいなので彼女をもう一度招くという。 違うメニューでないと・・・・。 

昨日、オフィスまで行って今回招待するマラウイアンメンバーに声をかけてみた。 『何か食べられないものってある?』 と訊ねると彼は緊張した面持ちで、『別に・・・・・?』 と答えた。 
『スパイシーフードは?』 『そんなの、僕食べない!』 彼は、はなっから否定した。ペリペリソースっていう、辛いのがこの国にあるじゃない? それなのに、辛いの駄目なのか? あなた達アズング(白人)が何を食べているのか、僕には皆目わからないよ! と彼の顔に描いてあった。

そのとき彼のデスクの上、タッパーウェアーに入った白くてモサモサしたものが目に入った。どうやら彼は朝食をオフィスに持って来て食べている最中だったようだ。 
私にはその白いモサモサが何なのかわからなかった。『これ、何?』 
『キャッサバ。』 

なるほどね、私にも彼らが食べているもの、わからない。


さて、そういうメンバーが今晩集まるわけだが、アメリカ人1名、マラウイアン4名、どういうメニューにしようか悩んだ。
ジムは私がキッチンに入ったままになるのが嫌だから、メインディッシュは1皿でいいと言う。 が、私にしてみたら、7名分のメインディッシュをあの鍋やフライパンで一気に作り上げる自信がない。無理だ。 結局メインディッシュは2皿。 あらかじめ作っておける物を1つ用意することにした。
  1. チキンのタイカレー(もう出来上がっているのよ)
  2. ビーフ&ブロッコリー オイスターソース(最後に一気に炒める)
  3. オクラのガーリック炒め(これも最後の一気)
  4. インゲンの黒ごま和え(楽勝!)
  5. ライス(2回に分けて全部で4合くらい炊きました。 バックアップがあれば安心。)
  6. ストロベリー&スコーン(ジムがイチゴを買って帰る予定)
マラウイアンの人はブロッコリーなんて食べたことないかもしれない。 
さ〜どうなることか? 準備は整った。 あとはお客さんが来るのを待って、オクラとビーフの皿を仕上げるのみ。

グッドラック、自分よ。

マラウイアン達の反応がどうなるか、ちょっと楽しみ・・・.






Sunday, September 12, 2010

LCAインターナショナルプリスクール 発表会プログラムデザイン






フィードザチュードレンの仕事の合間を見て違う仕事をしている。 LCAインターナショナルプリスクールの発表会プログラムとチケットのデザインだ。 この発表会は兄夫婦の幼稚園で行われる年に一度の一大イベント。相模原市民会館の大ホールを貸り切って1000人のお客さんを前に行なわれる大舞台。 なんで1000人にもなるかと言えば、200人以上園児がいて、各家族がおじいちゃん、おばあちゃん、等親戚を招待するので、招待客は1000人を軽く超えてしまうらしい。
園児達は英語のパフォーマンスを披露する。英語で劇をしたり歌ったり、踊ったり。 衣装もお母さん達が気合いを入れて手作りし、舞台の大道具もかなり凝ったものが用意される。この日の為に幼稚園の先生達は何ヶ月も前からプランを練り、子供達と練習に励み大変なエネルギーを費やしてこの日のイベントを迎える。 先生達にとって、このイベントがどれだけ大変なものか想像できる。 それを楽しくできるかどうか? がLCA幼稚園の先生たる資質なんじゃないかな? なんて思う。 そうでなければかなりのストレスになってしまいそうだもの。 残念な事に12月のこのイベント、私は日本にいたためしがなく、いつも参加できない。 後でビデオを見せてもらう。それだけでも興奮する。幼稚園児にとってもこの大きなステージは貴重な体験になるはずだ。 自信がつくだろうな。

さて、発表会のプログラムデザインなのだが、例年同じデザイナーさんにお願いしていたそうなのだ。 が今年はその方にお願いできないということで、私がピンチヒッターとなったわけ。 例年のスタイルを見せてもらうと、これが可愛らしいのだ。 子供達のイラストが描かれていて、なんとも幼稚園らしい。 う〜〜ん???? 私はこういうイラスト描けないよ・・。 姉(シスターインロー)に相談すると、子供の絵を描かなくてもいいし、大人っぽい雰囲気の物でもオッケーだという。 それなら、なんとか????

私なりに考えた。 そうだ、動物にしよう。 動物を使ってデザインしよう。
アフリカに来てから私の中のイメージの引き出しが1つ増えたような気がする。 それは日本やアメリカでは経験できないような事を体験しているからなんだと思う。 
サファリの最中にイボイノシシと目があった時の驚き、夕暮れ時に木にとまるフクロウを見つけた時の興奮、地平線に沈む太陽、バオバブツリーの神秘的なたたずまい。ディズニーの世界でしか見た事のないイメージが現実となって目の前に現れた時、私の脳内ハッピーホルモンが全快に吹き出して息を飲む。 

そういう感動をイラストに表現したかったんだけど、今イチ技術が伴わない。 そこらへんがすっごくもどかしいのだが、私なりにイメージを絵にしてみた。 キリンとフクロウ、そしてバオバブの木がモチーフ。

葉っぱとキリンの斑点がハラハラ宙に舞っているイメージなんだけどね?

ことあと同じイメージでチケットのデザインに入ります。
キリンの絵がプログラムの中側で、フクロウは半分に折り畳んだ時の表になる。 



 


Saturday, September 11, 2010

アフリカンドレスが出来上がった

オーダーしていたドレスが出来上がった。 モスグリーンと記憶していたのだが、日光の下で見たらオリーブグリーンだった。 
出来上がったドレスを試着してみて、お店のアシスタントの女性が補正をチェックしてくれた。 胸のVが深過ぎて胸の谷間が見えてしまうのと、袖のシャーリングの為にアームホールが上に引っ張られて袖ぐりがきつくなる所。 ブラウスの脇も少し大き過ぎたので脇をつめる・・・・。 等々。
スカートは完璧!

お直しが出来上がるのをその場で待つ私。

30分後にできて来たドレスを再び着てみる。 そこにマダムが登場。 このテーラーのオーナーであり、パタンナーでもある。 全てのドレスの製図を彼女がやるそうだ。 お客さんの体型を見て線をひいてくれるので、より信頼がおける。 マダムは私が着たドレスのブラウスの脇が直線すぎる! と指摘。 それはさっきアシスタントの女性が緩すぎると言って小さくつめてくれた場所だ。 マダムは、再び大きくするように指示をだした。 後ろの部屋では何人ものテーラーさん達が働いていて、、直ぐに指示とうりにお直しをしてくれる。 つまんだ所をまた出すんだから、お直ししている人は????と思っているに違いない。

できあがったドレス。 なんだか華やかだよね。 
スペシャルオケージョンでないと着れないね。 
余った布は端を三つ折りにしてくれたので、色々に使えるようだ。 ターバンにも使えるのよ。
こんな感じです。二の腕のたるみをなんとかしないとヤバ・・・・。



良かった。 ジムも気に入ってくれたようだ。

Tuesday, September 7, 2010

やっと決まったオートクチュールのドレス 

ドレスをオーダーして来た! とうとう。
マラウイの女性がおしゃれに着こなしているツーピース。 私の体型はロングのスカートが似合わないので普段ロングスカートは履かないのだが、これは例外。 アフリカ的なドレスとしてアフリカ的な布でアフリカ的なデザインで作ろうと思ったから。 が、どんなにアフリカ的にしようと思っていても、選ぶ対象がどうも日本的な柄になってしまいがち。 

友達2人と何度もお店に通い、散々悩んで選んだ布。 オレンジにしようか、チョコレート色にしようか? 日本の母に電話までして、『ね〜〜どっちだと思う? オレンジかな、それとも無難なチョコレート色?』 『そ〜〜ね、オレンジは今好きだ〜って思ってても、きっと直ぐに飽きがくると思うわよ。』 85歳の母の言葉には妙に説得力があった。 確かにそうかもしれない。

私はチョコレート色の無地でスカートを、同じ色のパターンの布でブラウスを作ろうと決心。ちょっと見た感じ、日本の着物のような色と柄かもしれない。 だが、その日、オーナーである女主人が留守で採寸ができなかった。

翌日出直す私。
『あなたの選んだデザインだとこの布では足りないわ。布を選びなおして!』 オーナーは私の顔を見るなりそう言った。
あちゃ〜〜〜、何日も悩み、選んだ布は私の決めたデザインのスカートには長さが足りないのだそうだ。 どの布も着分に切られているから。

1からやり直しですか?

結局、モスグリーンのパターンの布を選んだ。 これもまた、大変な決断だった。好きな布がありすぎて・・・・。

6ヤード、仕立て込みで20,000クワチャだそうだ。 ($120、 1万円くらい)

仕方ない、ジムに値段は言ってないしヘソクリだった最後のユーロをクワチャに換金しようっと! フフフ・・・・。

12月にヨハネスバーグで友達の結婚式がある。 2人で招待されている。 その後ヨハネスバーグからケープタウンまで行って何泊かしようと思っている。 そうだ、結婚式の時に着るドレスになりそうだ。 そうだ、そうだ、そうしよう。 

金曜日が待ちどうしい。 ターバンも考えよっと・・・。

ポスターとロゴTシャツのその後

私の作った"TEWALERE" ポスターが好評のようだ。 
ゼロックス(印刷や)と喧嘩腰で印刷をし、色がボヤボヤになってしまった最初の3枚のポスターは誰も欲しがらないと主人がぼやいている・・・・。 そりゃそうだ。 きれいな色で刷れたものと並べたら誰も欲しがらないでしょう。
考えてみたらあの時停電になって良かったわけだ。そうでなければ、お願いした25枚、全部がボケボケのポスターになっていただろう。 停電、ありがとう。

しかたなくもう1件のゼロックスまで車をとばした私。 2件目のお店で残りの23枚をきれいに印刷し、ボケボケが私のデザインのせいでない事が判明。

今日は追加で10枚ポスターを刷りに行った。 もちろんきれいに仕上がる方のゼロックスへ。 マネージャーさんとも顔見知りになって、ディスカウントもしてくれた。 先日出来上がったフリップチャートも持って行って、値段交渉。 将来的に印刷をお願いする事になりそうだから。(もう前のゼロックスには行きたくないから) 
良かった。 交渉成立。 1冊1万クワチャ($65)で作ってくれると約束してくれた。 


追加で刷ったポスターをFeed the Children のオフィスに届けに行った私。入り口で例のロゴTシャツを着たスタッフとすれ違った。 彼はものすご〜〜く静かな人で、彼のほうから話しかけてくることなんて今までなかった。いつも『ハロ〜!』 って挨拶をかわす程度で会話にならない。 

だが、今日は違った。私とすれ違い、何時ものように挨拶して通り過ぎようとした私を呼び止めて、『Tシャツをありがとう。凄く気に入ってるんだ!』 と言ってくれた。 笑顔で。
主人がスタッフに何と説明してTシャツを配ったか知らないが、少なくとも私がアイロンで印刷したことは皆知っているらしい。 (お金を出したのは私じゃないんだけどさ。)

ゥワ〜〜! 彼の笑った顔、初めて見た!
彼の言葉がなんだか、とっても嬉しくて、3日がかり、洗濯から始まって、パワーアイロン、26枚のTシャツの印刷に試行錯誤、翌日筋肉痛になったあの苦労が一気に報われた気分だ。 

『良かった、気に入ってくれて。 でもね、2回洗ったら、このロゴ、きっと剥がれちゃうと思うよ。 質が良くないの。ごめんね。』 私は彼に説明した。 あまり喜んでもらって、洗った後がっかりされると辛いから。 彼は『知ってるよ。 こういうTシャツの洗い方。大丈夫、任せて!』そう言ってくれた。

”洗ったら直ぐに剥げちゃってガッカリだ・・・・。” そういうコメントを予想していた私は彼の気遣いが、みょ〜〜に嬉しかった。 良い奴だな〜。 

次回ロゴTシャツを作る時はシルクスクリーンのような耐久性にあるものにしたいと思う。
だって、ジムのTシャツ、2回洗っただけでもうロゴが剥げはげなんだもの。





Sunday, September 5, 2010

”ゆたかさ” について考える

今朝、私のお気に入りのウェブで ”ゆたかさ” について書いてあるブログを読んだ。
”ゆたかさ” ってどんな感じだろう? ってふと思ってみた。 
毎日納豆を食べる事ができるアフリカ生活って豊かだよな〜、って私的には思ってしまう。
納豆保温機を購入しようと企んでいるのだが・・・。

”ゆたかさ” って何? と考えた時、”ゆたかさ” = ”ハッピー” と言える部分もあるけど、そうでない部分もあるような気がする。”ハッピー”とは満たされた感覚が大部分を占めているような感覚である気がするが、”ゆたかさ” はもっと地味なんじゃないかな? その瞬間は気がつかなかかったりする程地味?

50年の人生を振り返って今まで、あ〜〜”ゆたかだな” って思った思いでが2つある。
1つ目は結婚してカリフォルニアに居た頃のこと。 ヤギの赤ちゃんが生まれたのだが、お母さんが子育てを放棄。

仕事から帰るとダイニングで主人が子ヤギをバスタオルに包んで哺乳瓶でミルクをあげていた。 

『あ〜〜やっと帰って来た。 さ、君の番だよ!』 と子ヤギを手渡された私。

大の男が子ヤギを抱いてミルクをあげてる姿って、そう見られるものではないな、って思ったものだ。

夫婦で子ヤギの世話をするのってなんだか”ゆたか”な気持ちになるな〜って思った。(その後、この子ヤギは私をお母さんだと思い込み大変だったのだが・・・)


2つめは、

前年にとれた真っ赤なポピーの種をバケツに1/3程とってあったので、種蒔きをした。

カリフォルニアの郊外なので庭は広い。 種蒔き機というハンディーな機械があって、そこに種を入れ、把っ手をクルクル回すと種が前面に飛び出す構造になっている。私がクルクル種蒔き機を回し、主人がバケツの種を機械に補充してくれながら、2人で庭を歩き周った。 同じ場所に蒔かないように気をつけながら。 

真っ赤なポーピーに埋め尽くされた庭も見事だったのだが、種蒔きをしているその瞬間のイメージ、その光景が生涯わすれない”ゆたかな”一時のイメージとして私の頭に焼き付いている。

今までの生涯でパッピー(ゆたか)な瞬間を思い浮かべてください、と言われたらこの種蒔きの時のイメージが頭に浮かぶ。不思議なことに満開の花のイメージではなくその前の種蒔きなんだな。


私にとって、”ゆたかさ” とは大事な人と何かを一緒に育んでいるその瞬間のことをさしているような気がする。



悲しい時、心が壊れてしまいそうになった時、私はこの”種蒔きシーン” を思い出す事にしている。 イメージには癒しの効果があるらしいから。


そう考えると、自家製納豆はジムとは一緒に育めないので、これは私の”ゆたかさ” 定義にはあてはまらないことになるわけだ・・・・。残念だな。(昔の彼氏は納豆が大好きで一緒に食べたんだけど・・・・!)


写真は2006年、2人で蒔いたポピーが花開いた時の光景



Thursday, September 2, 2010

From Scratch (一から作る)

昨日納豆を堪能した。 納豆なんてマラウイに売っているはずはなく、これは南アフリカから遊びにきた日本人の友達がヨハネスバーグからお土産に買って来てくれたものだ。おいしいったら、もう〜ほっぺが落ちた。

日本で生活していた時以下のことは信じて疑わなかった。
  1. ご飯は炊飯器で炊くもの
  2. 餃子の皮は買うもの
  3. 麻婆豆腐はマルミヤ
  4. 冷やし中華のたれはどこのメーカーだったっけ?
  5. 浅漬けの元、便利なのがあったよね
  6. 豆腐はスーパーで買うもの
  7. 納豆もスーパーで買うもの
ざっと考えてもこれだけある。
#1は結婚するまでそう信じてた。 結婚してからジムが炊飯器なし、普通のお釜でご飯を美味しく炊く方法を教えてくれた。 あれ? こんなに上手に炊けるなら炊飯器いらないね? それ以来使ったことがない。 (10年)
#2、餃子の皮はカリフォルニアでは売っていたがマラウイにはない。 作ります。 これも結構上手くいく。 ただ、時間がかかる。 気合いを入れて、停電でも暗闇で炭坑夫さんのようにヘッドランプをつけて黙々と作り続けるだけの餃子への執念が必要。
#3はこれ、自分で作るとマルミヤなんかよりずっと美味しい麻婆豆腐ができる。 マルミヤが本当の味だと信じていてはいけない! #4、冷やし中華もラーメンと一緒、突然食べたくなる。 作りましょう。 ごま油があれば大丈夫。 結構シンプルなものだ。 #5漬け物も塩とダシ昆布、唐辛子があれば美味しくできるんだ、って発見。 顆粒の昆布ダシも使うと尚良い。 ジムもこれどうやって作ったの?と感激。 油使わずヘルシーで良いよねって。
#6、豆腐。これは既にマラウイにいる友達が上手に成功している。 広いキッチンのある家に引っ越したら絶対に試そうと思っている。 それまではお預け。
#7納豆! これは今の生活で渇望しているものの1つ。 納豆菌を使ったり、既成の納豆を何粒か使って作り出す方法もあるそうだが、保温機がどうしても必要。 40度の温度を保つための工夫がいる。冷蔵庫の下とか、変圧器の上だとか色々試した人達がいるようだが、やっぱり保温機を使うのがよさそうだ。

10月に日本に帰ることになったのだが、この納豆製造用の保温機を買おうかどうか迷っている。 毎日納豆のあるアフリカ生活ってなんて豊かなんだ! 考えただけで顔がほころんでしまう。 私は納豆大好き人間で、毎日食べても飽きない。 ジムが側に居ないときに食べる。食器も直ぐに洗ってしまう。 臭いって言われるから。

あ〜〜〜納豆、納豆、納豆。 納豆菌を買い込むぞ! 保温機も買おう!