Wednesday, September 21, 2011

ルワンダについて



ずいぶん前に映画 ”ホテルルワンダ” を観た。 そのときは将来自分がルワンダに行くなんて夢にも思っていなかった。 が、遠い昔ではない過去にこんな虐殺がアフリカで起こっていた事を知らなかった自分にショックを受けたのを覚えている。 

この映画は17年前に起こったルワンダでのジェノサイド<集団虐殺>を描いたもので、ホテルの副支配人がフツ族の民兵に賄賂を掴ませ1000人ものツチ族をホテルの敷地内に匿い、守ったという実話を描いたもの。 この映画の舞台となった外資系ホテルが現在も首都のキガリにある。 人々がホテルのプールサイドに身をよせ、プールの水も生活用水として使い・・・・そういう場面が私の記憶の中にある。 そのホテルの本当の名前は”ミル コリン” というのだそうだ。 ミルコリン <千の丘> という意味だ。

ジムと私はルワンダ旅行初日、小雨の降るなかこのホテルを訪ねてみた。 ワ〜〜〜! このホテルは4つ星、5つ星? ジーンズのままロービーを歩くのが、ちょっと気遅れしてしまいそうなほど綺麗。 ロビーの向こうに見えたのがあのプールだ。 プールはそのまま残っているらしい。 

17年前、100日間の間に80万とも100万とも言われている人間が虐殺された。この数字100日間での割合で言ったら、とんでもない数字であることがわかる。  ジェノサイドメモリアルというミュージアムにも行ってみた。 何故、人間ここまで残忍になれるのか? そう思わざるを得ない。 が、識字率50%の国民はラジオによるプロパガンダ(宣伝)で煽動されてしまう。殺さなければ殺されると・・・・・・。

想像を絶する残忍な虐殺が行われたことは、生き残った人達が語っている。 この小さな国ルワンダの至る所にマスグレーブと呼ばれる共同墓地がある。 キブエにあった教会を訪ねると、教会の建物の前にジェノサイトメモリアルが建てられていた。 外からでもガラス越しに犠牲者の頭蓋骨が見えるようになっている。 教会に逃げるように言われ、隠れていた人達。 罠だったのだ。 そこで皆虐殺されてしまう。 
町を歩いていると青年が話しかけて来た。 その青年<18歳>の両親もジェンノサイドで亡くなったと・・・・。
この平和な町が血で染まり、死体で埋め尽くされた17年前。 国際社会はどうしてルワンダを助けなかった? アメリカも。 何年か後にクリントン元大統領がテレビでのインタビューで自分の決断が誤っていたことを述べている。 あの時アメリカから5000人の平和維持軍を送っていたら、50万人の命を救えただろうと・・・・・。
国際社会のメディアはルワンダのジェノサイドを無視し続け、2004年に映画”ホテルルワンダ” がアカデミー賞やゴールデングローブ賞にノミネートされた時、世界はやっとその事実を知る事になる・・・・・遅すぎる。 


このジェノサイドを陰で操った人達は裁判にかけられ、裁かれているのだが、そうでない人達、例えば虐殺や拷問、強姦に関わった民兵など、そういう一般の村人達がルワンダの再建にあたり、隣りに住んでいることもありうるということを思うと、砂を噛むような気分になる。

このジェノサイドが起こったのが遠い昔でないこと・・・・その頃自分はどこで何をしていたのか考えずにはいられない。 世界のメディアはもの凄いスピードで技術変化していっているというのに、ポッコリと取り残され、無視され続けた小国の悲劇。 二度と繰り返してはいけない。

ルワンダ旅行は生涯忘れない思い出として私の宝物になった。 


写真はキガリにあるGenocide Memorial(左)とMass Grave (下) そして教会に建てられたメモリアル






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