Friday, September 30, 2011

病気が蔓延、アニマルハウス

ここブカブのゲストハウス(アニマルハウス)で病気が蔓延している。 ちょっと大げさかな? でも1人、また1人と具合が悪くなる。 主な症状は下痢・・・。 先週末はジムが酷い下痢で何も食べれず苦しそうだった。 が週明けからなんとか回復し、火曜日からゴマへ出張。 ボートでの移動なので下痢は絶対にダメ!

月曜からはウェンディーというアメリカ人女性が体調を崩して火曜日に病院へ行った。 マラリアのテストを受ける為。 彼女は1ヶ月程前に赴任してしてきた。 お腹の具合が悪く、筋肉痛、頭痛などで食べられない状態。 マラリアテストの結果はネガティブ。 マラリアではなく何か他のパラサイト・・・と言われたそうだ。 何も薬は出ず、このまま体力が戻るのを待つのみと・・・。 

水曜の夜、いつもは自分でお皿にとった分の食事は全部残さずに食べる自分が食べきれずに残してしまった。 ”へんだな〜?” と思った。ディナーの後、部屋に戻った私は急に気分が悪くなった。 嗚咽が・・・・・急にだ。 

私の番でした。 下痢と嘔吐、ダンダン腰が痛くなって来て、寒けが・・・・・。

寒くて毛布に包まりながら寝ようとするのだけど、喉が渇いて渇いてしかたない。口の中がカラから・・・。水を飲む。 体中が痛くなってきて眠れない。 汗をかかないので、トイレに1時間おきに起きるしまつだ。 たぶん熱がでていたのだろう・・・・。

翌朝、下痢と嘔吐はおさまっていたが、頭痛とひどい筋肉痛で最悪。 食欲もなし。
ウェンディーは4日目だというのにまだ食欲がなく、お腹の調子も良くならない。 
私はウェンディーと一緒に病院へ行く事にした。

結構大きな病院だ。 しばらく順番待ちをしなくてはいけないだろうと思っていたのだが、 小部屋に入ると、男性が1人デスクに向かって座っている。 3人入るともう目一杯なくらいの小さな部屋。 私は椅子に座り、この男性にむかって、”Is there any doctor available today?" と聞いた。 
”I am a doctor!"   
”??????” ごめんなさいね。

私は彼が受付だとばかり思っていたのだが、彼がドクターだった。 いきなりドクターに会えるとは!

問診から始まり、ラボテストへ。 血液検査だ。 血液をとられた。 注射器が新品であるかどうか目を見開いて確認。 大丈夫。新品をパッケージから目の前で開封して使用したから。その他、小さなタッパーに楊枝が一本入ったものを手渡された。 なにこれ? 英語を話さないラボの担当者だったので、困った・・・。 この容器に”ユリーン”を入れるの? と聞いても ノンという返事。
楊枝が入ってるのが何でなのか? 
あ〜〜〜、尿じゃないほうね! 
”わかった!でも私、今、無理!”

彼はオッケー、ノープロブレマ と行って血液検査の結果を20分待つように言ってくれた。

結果、マラリアではなかった。 白血球の数値がちょっと基準値より低いが、その他3つのテストも全てネガティブ。 特に心配ないと・・・・。鎮痛剤が炎症を抑える効果があるから鎮痛剤を飲み続けるようにと・・・・・。

さてウェンディーだが、私と症状が似ているのだが、4日目にしてまだお腹の調子がもどらないのは、困ったもので、ドクターは下痢を治すための薬を出してくれた。 それとお腹の中の寄生虫を一掃できる薬。 ドクター自身も3ヶ月に一度その薬を飲んでいると・・・・・。
こういう薬はマラウイ湖で泳いでしまった後に1度だけ飲んだ経験がある。 

私は2日後からキンシャサに移動するので、このまま症状が良くならない場合を想定してウェンディーが処方されたものと同じものを出して欲しいと言った。 万が一の為に。

その晩、ジムがヨレヨレになってゴマから戻って来た。 ボートが悪天候で揺れて最悪だったと・・・・・。 ベッドに横たわっていた私を見て驚いた様子。 本当は不機嫌で戻ってきたジムだったのだが、私が病気だと知り疲れた身体にむち打って、私の話を聞いてくれた。 ”何で電話で言わなかったの????”  ”これ以上バッドニュースを聞かせたくなかったから・・・・。”

ジムはやっと迎えたスタッフが辞めると言い出して、そのことで陰鬱な面持ちなのだ。 予想外の展開に困リ果てている。 

明日はジムと2人、UNの飛行機で久しぶりにキンシャサに戻る。

私達の将来は今微妙なところにある。 
 
お花の写真でお口直しを・・・・・。自然界の色は言葉で表現できないくらい美しい。
これらは全部、小さな、小さな花達です。
 


















Monday, September 26, 2011

ルワンダ、バス体験

いとこからメールがきた。ルワンダの写真をみて ”朋ちゃん、あのバスに7時間も乗ったの?” と。 良くきいてくれました。 そうなんです。 私のアイディアではないですよ、もちろん。

ルワンダのバスの話・・・・。

ルワンダ旅行の最後はキブエからコンゴ国境まで、レイク沿いを走るバスで帰って来た。

でこぼこ道を5時間かかると言われた。現地の人達はたった5時間、そう表現する。

ホテルからはオートバイタクシーで荷物ごとバス乗り場まで乗り付け、待つ事1時間半。5時間も乗るというのに料金は5ドルほど。

やって来たのは大きなバス。 これは古そうだわ・・・・それにあきらかに日本製じゃない。
バスは大きいのに入り口のドアが人1人分しか通れない程小さいのは何故? 何十人もの人が一斉にバスに乗ろうと押し寄せパニック状態。 でもこれは予想してた。

バスの中にいた切符売りのお兄さんが、”ハイハイ、アズング(白人)が乗るから、どいたどいた!” と叫ぶ。 入り口につっかえている人達の頭上で私達のスーツケースをこのお兄さんが引き上げてくれた。 ”皆と同様、肘をガンガン使って遠慮せずに乗りましょう!” という誰かのコメントをウェブで見た。 このことだわね。

やっと乗れたはいいが、日本の満員電車状態、いやちょっと違うよ。 日本の通勤電車ではマットレスやら切ったばかりの何メートルもある竹なんか持ちこまないね、普通。 チケット売りのお兄さんの『アズングを座らせてあげてっ!』 の一声で入り口横の日本でいうシルバーシートが私の為にあけられた。感激! ジムはジムでルワンダの若者が席を譲ってくれて、無事着席。私はジムのバックパック2つを足下に置き、自分の枕の入ったバッグを膝の上に抱える。足なんて動かせない状態だけど、余裕を見せるため、周囲の人達に微笑んだりしちゃって・・・・・。   内心、これで5時間? マジっ! 

とにかくどんなに小さな隙間でもルワンダの人はひょいっと入り込んで来て座ってしまう。 。 2人用の席に3人座るのはあたりまえ。 重なりあうようにして座ってる。

30分過ぎた頃に乗客がドンドンバスから外に降りて行く。 何事? 
全員バスから降りる。 前方に壊れかけた橋があって、バスが無事通過できるかわからない。 重量を減らすため、乗客全員が降ろされたってわけ。 (写真で見える人達の後ろに見えるのが、そのオンボロバス)
荷物だけになったバスは無事、橋を通過!皆で拍手〜!

皆バスに戻る。 せっかく座っていた席がなくなっているだろうと予想したが、意外や意外。 ちゃんと降りる前と同じ状態に戻った。  律儀なルワンダ人。

また30分後。 今度は足の不自由な女性が乗って来た。 松葉杖を外してバスに乗ろうとするのだが、自力ではステップを上がれない。 中の人が彼女を上から引っ張り上げてやっと乗車。 が、このすし詰め状態のバスにどうやって???? 立ってるのはどう考えても無理。 席を譲った。一番近くに座っていたのは私だものね・・・・。

彼女は私の荷物を膝に抱えてくれた。 重たいので私が躊躇したが、彼女は私の荷物を離そうとはしなかった。 

日本の満員電車に9センチのハイヒールを履いて通勤していた事を思えば、これくらい何のその!  トレッキングシューズ履いてるんだもん。  バスが大きく揺れるたびにベタベタした手すりにしがみつく私。  

途中、バスは幾つかの小さな町で泊まり、数人が降り、また数人が乗ってくる。 バスが停まると同時に窓の外に、バナナ売りやピーナッツ売り、あげパン売りなどが寄って来て商売する。 バスの中、座っている人達の頭上をバナナの房が行ったり来たり。 結構真剣にバナナ選びをするのには驚いた。 こっちの房でなくて、そっちの房。などとの交渉してるよ。 気づけばバスの中、あちこちで皆バナナを食べているじゃないの。 バナナを房ごと買った男性が私に”食べなよ!” と手渡してくれた。 良い奴じゃん!

バナナとピーナツが長旅の友ってことらしい。

途中乳飲み子を背中にくくった若いお母さん達も荷物を抱え乗ってくる。 このぎゅうぎゅう詰め状態のバスにどうやって? と思うのだが、乗り込んだ後、クルリッと赤ちゃんを背中から下ろすと、座っている女性にポイッと手渡す。 別に ”お願いします” でも何でもなくだ。 
ごく当たり前のように赤ちゃんが手渡され、赤ちゃんは見知らぬ人の膝の上に乗せられ、バスは走る。泣かないよ、赤ちゃんも、慣れたもんだよ他人の膝。

荷物もしかり。 大きなバックパックは周りの人に本当に迷惑で、でも座っている人が膝の上に預かってくれる。ルワンダ流、バスの乗り方。

途中またバスが停まった。 今度は何? チケット売りの添乗員さんとジムがいきなり外に飛び出す。外で何が起こっているのか調べている様子。

ジムまで降りなくてもいいのにさ・・・・。 どうやら前方に崖崩れがあったもよう。 それに行く手は雨の影響で泥沼状態。 ここをバスが通過できるかどうか? それで停まったのだ。

ジムがバスの入り口に戻って来たかと思うと ”Tomo, get off, right NOW!"

????????? えっ?

バスはゆっくりと前進し始めているし、パスポートの入ったバックは棚の上だし、荷物は???? そんなことが3秒程頭をよぎって、私は迷った。 ”Get off means, get off, NOW!"

ジムがもの凄い形相でバスの外で叫んでいるので、私はとるものもとらずに、走り出したバスから飛び降りましたよ。

ジムの説明は私に10個くらいのクエッションを投げかけて、私をいつも混乱させる。 バスを変えたいのか? 一時的に降りるだけなのか? 

バスの前方は泥沼。 それで、ジムは重量オーバーのバスが横転することを懸念して私に降りろって命令したわけだ。 つまり一時的に降りろ! っていう意味だったわけ。 この”一時的に” があるのとないのとでは私の反応は全然違ってくるわけで・・・・・ブツブツ・・・。 


確かにバスは泥の中をお尻をフリフリかろうじてスタックせずに泥沼を通り抜けた。こういう場合、ゆっくりじゃなくて一気に走り抜ける。 もしバランスを崩したなら横転の可能性は大いにあり得る。 これだけ人が乗っているのだもの。 
切符売りのお兄さんとジム、そして私、走り出したバスに取り残されないように全力で走って飛び乗る。

ハ〜〜〜〜ッ。

バスの中に戻ると、皆の笑い声。 現地語なんでなんのことかさっぱり???でも間違いない、私とジムのパフォーマンスをバスの中から一部始終見てたんだね。 アズングがいきなり飛び降りたのがおかしかったんだね。 私もテレ笑いさ・・・・。

ちょっと恥ずかしかったけどね、いつも最悪の事態を想定しながらジムが私を守ってくれるからこそ、今まで無事に過ごせているのよね。 ありがとう。 でも、もちっとわかりやすく指示して欲しいわ。




バスは5時間の予定が7時間かかり、とっぷり日が暮れた頃に国境に到着。 トイレ休憩がないのはわかっていたので、前日の夜から水分をたった。 脱水状態だ。 おかげで一度だけ町のレストランのトイレに駆け込むだけで済んだ。 トイレの近い私が7時間の間に1度のトレイ・・・・ジムは驚いてました。 

7時間のバスの旅、本当の意味でアフリカ体験でした。 大変な旅ほど思い出に残るものだしね。

写真のバスの座席の背もたれ、わかるかな? この背もたれが100回くらいはずれて、後ろに座っている人がその度に元の位置に戻してくれたのよね。 

ルワンダの人は助け合いの精神が強いようだ。

橋を渡る前に降ろされた乗客。 後ろに見えるのが私達が乗ったバス。


はい、これからこの壊れかけた橋をバスが通過します。 バスがコケルことを予想して、ジムは私を遠くまで避難させた。


バスが終点に着く頃には乗客も半分以下に減ってゆとりが・・・・。 でもこの背もたれがはずれるのよ・・・。




これがその背もたれの板。すごいっしょ?





Sunday, September 25, 2011

バナナナナナ





この写真ちょっとピンぼけなのは、ジムの小さい携帯で撮ったからなんだけど・・・・。
アニマルハウス金曜日のランチ風景。
ナショナルスタッフは全部集めればこの倍はこの家に住んでいるのだけど、ランチは先にテーブルについた人から食べていく。 この日は皆の大好きなビーフのBBQだった。 串焼き。

皆、エマニュエル(後ろに見えるシェフスーツを着ている男性)の料理に大満足。 が、スタッフの1人が”バナナはないの?” と言い出した。

エマニュエルがバスケットに大きな房のバナナを持ってきた。 皆、一つずつもぎって食べ始めた。 コンゴではそこいら中にバナナの木があって一年中食べられる。 大きな房1つで1ドルちょっとくらいかな? 

小学校の給食風景だって、これだけ皆が一斉にバナナを食べるってのはめずらしいでしょ?

手前に見える半分のバナナはジムのバナナ。 片手で写真を撮ってます。




話はガラリンコと代わり、時間も前後するのだが・・・・・。
この写真を見てくださいい。 ルワンダで撮ったもの。 山の風景写真を撮っていたら集まってきた地元の子供達。 恐る恐る遠くから私達を見ていたので、ジムがこっちにおいで! 一緒に写真を撮ろう! と。

ズームにするとこん感じです、この子達。



どうしちゃったの? って思うほど泥だらけ。 標高2200メートルくらいの場所で、空気は澄みきって緑の濃い町。9月に入り雨が降り出したせいなのか? 泥の中で遊んじゃったのか?この子達、今炭坑から出て来ましたっていう風貌だ。 

水がどれだけ貴重で、シャワーなんて浴びれない・・・・そういう生活を物語っている。泥だらけの風貌なんだけど、でもどの子も皆目が澄んでいてきれいでしたよ。




Saturday, September 24, 2011

即席プラグ?

この写真なんだと思いますか?

真ん中のオレンジ色をしたものは人参です。




ルワンダに旅行した時に国立公園の近くのロッジに3泊した私達でしたが、そのロッジがかなりシンプルな宿だったのです。 シャワーカーテンやバスマットなんてものはなし。ただバスタブがあるだけのバスルーム。  それでもお湯が出るのですから贅沢は言えません。

この町は標高が2000メートルとあって、空気がひんやりしていてとにかく肌寒い。 私はバスタブにお湯をはってゆっくりしたい! って言ったんです。 ところがバスタブに水を張るための栓がなかった・・・・・・。

ロッジの人に聞いたけど、怪訝な顔で、なんで栓がいるのか?っていう反応。  思えば、テレビが置いてあるけど、リモコンがなかったし(これは映るチャンネルが1つだけだったからだと判明!)とにかく必要最低限のものしかないロッジだったわけ。

栓がないんじゃ、お湯につかるのはあきらめよっ・・・直ぐにそう思った私だった。 が、ジムが何やらやり始めた。 夕方に町を散歩した時にマーケットで新鮮な人参を買った。(キッチンに頼んで、皮を剥いてもらい私達のおやつにしたのだ) その人参をナイフで削りだした。それにプラスティックバックを裂いて人参の周りに巻き付けて・・・・。
即席プラグの出来上がり!

 


結果がこれです。 


お見事!



その晩私は湯船にお湯をはり、のんびり浸かることができました。なんと、そのお湯は翌朝までバスタブに残っていましたっけ。 

ジムは私のご希望を叶えてあげられてうれしそうでした。 万能ナイフはいつも彼のポケットに入っていて出番を待っている。 

ささいなことなんだけどさ、人は誰かを喜ばせてあげられた時って、嬉しいものだよね。
寒々しかったロッジでの滞在で、この事が凄く私の印象に残ったのだ。



しっかし、おかしいでしょ? ジムの考えることって。




Wednesday, September 21, 2011

ルワンダについて



ずいぶん前に映画 ”ホテルルワンダ” を観た。 そのときは将来自分がルワンダに行くなんて夢にも思っていなかった。 が、遠い昔ではない過去にこんな虐殺がアフリカで起こっていた事を知らなかった自分にショックを受けたのを覚えている。 

この映画は17年前に起こったルワンダでのジェノサイド<集団虐殺>を描いたもので、ホテルの副支配人がフツ族の民兵に賄賂を掴ませ1000人ものツチ族をホテルの敷地内に匿い、守ったという実話を描いたもの。 この映画の舞台となった外資系ホテルが現在も首都のキガリにある。 人々がホテルのプールサイドに身をよせ、プールの水も生活用水として使い・・・・そういう場面が私の記憶の中にある。 そのホテルの本当の名前は”ミル コリン” というのだそうだ。 ミルコリン <千の丘> という意味だ。

ジムと私はルワンダ旅行初日、小雨の降るなかこのホテルを訪ねてみた。 ワ〜〜〜! このホテルは4つ星、5つ星? ジーンズのままロービーを歩くのが、ちょっと気遅れしてしまいそうなほど綺麗。 ロビーの向こうに見えたのがあのプールだ。 プールはそのまま残っているらしい。 

17年前、100日間の間に80万とも100万とも言われている人間が虐殺された。この数字100日間での割合で言ったら、とんでもない数字であることがわかる。  ジェノサイドメモリアルというミュージアムにも行ってみた。 何故、人間ここまで残忍になれるのか? そう思わざるを得ない。 が、識字率50%の国民はラジオによるプロパガンダ(宣伝)で煽動されてしまう。殺さなければ殺されると・・・・・・。

想像を絶する残忍な虐殺が行われたことは、生き残った人達が語っている。 この小さな国ルワンダの至る所にマスグレーブと呼ばれる共同墓地がある。 キブエにあった教会を訪ねると、教会の建物の前にジェノサイトメモリアルが建てられていた。 外からでもガラス越しに犠牲者の頭蓋骨が見えるようになっている。 教会に逃げるように言われ、隠れていた人達。 罠だったのだ。 そこで皆虐殺されてしまう。 
町を歩いていると青年が話しかけて来た。 その青年<18歳>の両親もジェンノサイドで亡くなったと・・・・。
この平和な町が血で染まり、死体で埋め尽くされた17年前。 国際社会はどうしてルワンダを助けなかった? アメリカも。 何年か後にクリントン元大統領がテレビでのインタビューで自分の決断が誤っていたことを述べている。 あの時アメリカから5000人の平和維持軍を送っていたら、50万人の命を救えただろうと・・・・・。
国際社会のメディアはルワンダのジェノサイドを無視し続け、2004年に映画”ホテルルワンダ” がアカデミー賞やゴールデングローブ賞にノミネートされた時、世界はやっとその事実を知る事になる・・・・・遅すぎる。 


このジェノサイドを陰で操った人達は裁判にかけられ、裁かれているのだが、そうでない人達、例えば虐殺や拷問、強姦に関わった民兵など、そういう一般の村人達がルワンダの再建にあたり、隣りに住んでいることもありうるということを思うと、砂を噛むような気分になる。

このジェノサイドが起こったのが遠い昔でないこと・・・・その頃自分はどこで何をしていたのか考えずにはいられない。 世界のメディアはもの凄いスピードで技術変化していっているというのに、ポッコリと取り残され、無視され続けた小国の悲劇。 二度と繰り返してはいけない。

ルワンダ旅行は生涯忘れない思い出として私の宝物になった。 


写真はキガリにあるGenocide Memorial(左)とMass Grave (下) そして教会に建てられたメモリアル






Tuesday, September 20, 2011

Rwanda Trip ジムのカメラ


マウンテンゴリラというのはここ中央アフリカのルワンダ、ウガンダ、DRコンゴにしか生息していないのだそうだ。 
今、そのマウンテンゴリラの生息地に居住しているっていう事は本当にラッキーなことだ。
ここブカブにもゴリラが生息している。 ジムのチームメンバーはナショナルパーク内を突っ切って移動する事があるのだが、そのとき運が良いとゴリラを見る事があるそうだ。 一瞬だけど・・・・・・。 

ジムがルワンダで撮った数百枚の写真を見てみた。 ゴリラの写真が一杯なのは当然なのだが、私もかなり被写体になってました。 知らぬ間に・・・・・。ゴリラを追いかけているTomo・・・そういうシチュエーションの写真。 君がゴリラを前に ”キャーッ”とか”ワーッ”とか興奮しすぎるんじゃないかって、僕は心配したよ・・・・・。 意外に静かだったね、君・・・・。 

当然です。

ジャングルの中でマウンテンゴリラをバックにジムが撮ってくれた写真がこれ。 ゴリラにぎりぎり接近しているので嬉しいやら怖いやら・・・ゾクゾクしちゃって、複雑な表情をしているが、もう〜楽しくってしょうがない!っていう瞬間だ。

このあと私は、シルバーバックに駆け寄ってハグしました! 




っていうのは嘘です。本当はしたかったんだけどね。 



 


Monday, September 19, 2011

RWANDA TRIP  <マウンテンゴリラ体験>

8泊9日のルワンダ旅行から無事に戻って来た。 出発2日前に高熱を出したジム。 初日ブカブからすぐそこにある国境を越え、飛行機で30分、ルワンダの首都キガリに到着。 コンゴと違い、なんときれいな国際空港だろう。そこからツアー会社の車で3時間ドライブし、Volcanos National Park に到着。 翌日が今回の旅行のメインイベント、ゴリラトレッキング。 ジムの体力はギリギリこの日までに回復してくれた。 これが1日前だったら2時間半のジャングルトレッキングは無理だったかも・・・・・。

ルワンダのマウンテンゴリラツアー、7月から9月のドライシーズンがハイシーズンだそうで、9月は雨期が始まったところ・・・・. たくさんの人達がゴリラを見にこの国立公園に来ていた。 が、ゴリラトレッキングをできる人数は1日80人までと制限されているそうだ。 早朝集合場所には各々トレッキングの装備をした人達が集合。  各自の体力により、イージーコース、ミディアムコース、ロングコース、と3種類コースがあって、ジムと私は真ん中のコースを選択。 80人の参加者はそれぞれ8名ずつのグループに分けられ、ナショナルパークで働くレンジャーがゴリラ探しのガイドとして私達を案内してくれた。
が、ガイドとは別にすでにジャングルの中に入り、その日私達が目指すゴリラグループを探してくれている人達がいた。

その日私達のグループが目指したのは”グウェンゲ” と呼ばれるゴリラファミリー。 ボスのシルバーバックを先頭に11頭のゴリラがグループで行動している。 5頭のメスゴリラ、赤ちゃんゴリラ、子供達・・・・、おばあちゃんゴリラ等。 このシルバーバックの父親はルワンダ紙幣に描かれたゴリラのモデルになった有名ゴリラだそうだ。”サインして〜!” なんちって。 

2時間半このファミリーを探し求めジャングルを歩く。 ガイドのレンジャーは常に無線でゴリラ探し部隊と連絡をとっている。 2時間を過ぎたころ、やっとファミリーのいる位置が確認できたという連絡が入った。 ゴリラを見る時、彼らの位置するところから100メートル離れたところで個人の持ち物を全部置いて行くように言われた。 食べ物の臭いなどをゴリラの周辺に持ち込まないため。 既に膝下が泥でぐじゃぐじゃになっていた私はカメラだけを握り、いざゴリラにご対面! 荷物を置いた場所からでも、黒いふわふわした物体が緑の中で動いているのがわかる。 ゴリラだよ!

初めて遭遇した時は興奮のあまりカメラのピントがあわせられなかった。 ゴリラが動いているせいもあるのだけど、心臓がバクバクしちゃって・・・・。目の前のゴリラに釘付け状態。 あまりにも綺麗な動物で、あまりにもフカフカしてて、も〜一目惚れ〜〜。 できることなら近づいてハグハグしたいくらいだ。

足下のぬかるみも何のその、本当はゴリラから7メートル距離を保たなくてはいけないのだけど、私の7メートルったら2メートルくらい????? ゴリラと時々目があう。 が、私の興奮とは反対にゴリラは人間の存在など全く気にならない様子で草を食べ続ける。 ふわふわした毛の子供ゴリラはまさにぬいぐるみのようだ。 時々顔をあげた時の愛くるしい目。 息を殺してシャッターチャンスを待つ・・・・・。

シルバーバックの迫力は凄い。辺り一帯でオーラのようなものを感じる。 彼の周りでメスゴリラ、子供ゴリラ達は安心しきった様子でモクモクと草を食べている。 シルバーバックが移動すると、皆もそれに従って移動。 私達も移動・・・・。レンジャーが草をバッサバッサと切り倒して歩きやすくしてくれる。 この緑のジャングルの中に840頭のマウンテンゴリラが生活しているそうだ。 森の主のようなゴリラ。 ジャングルの緑がゴリラを包み込む。 ゴリラ達の周りの空気は特別で、なんだか不思議の国に迷い込んだアリスになったような気分だ。 ゴリラ達の周りに妖精でも飛んでいるのでは? そういう錯覚に陥る。 

この瞬間が少しでも長く続けばいい・・・・そう思った私だが、ゴリラに遭遇してからは1時間がルール。 ゴリラと同じ空気を吸った私のハッピーアワーはあっという間に過ぎていってしまった。 

人間、我を忘れ、心の底からその一瞬を楽しむことができる瞬間って、一生のうちどれだけあるだろう? これほど全身全霊がハッピーになれるのは、これまでの人生でアフリカでの動物体験、それ以外に思いつかない。


何百枚も撮ったゴリラの写真だが、ちゃんと撮れたのはほんの数枚。 ジムが撮ってくれた写真にシルバーバックと私が一緒に写っているのがあるはずだ。 それは後日紹介します。

旅行中の写真は別のページにまとめました。 こちらです;http://www.flickr.com/photos/28462218@N06/sets/









Friday, September 9, 2011

37度が平熱

昨日の夕方4時半、ジムの熱は39度5分まであがってしまった。 ゆでだこみたいに真っ赤な顔をして、でも筋肉痛や悪寒はないようだった。 頭痛もあまりない。

これだけ熱があがったら、私なら真っ先に解熱剤を飲んでしまうのだが、ジムが言うには病原菌と身体が戦っているからこういう場合解熱しないほうがいいと・・・・。 え? ほんと?

インターネットで ”大人の発熱” を調べてみると、う〜んなるほどね・・・。
解熱剤を飲むのは熱の為体力が消耗してしまった場合、苦しくて眠れない場合、頭痛が酷い場合・・等に限った方が良い。 そう書いてあった。 確かにジムが言っているのと同じだ。

夕方熱があがると同時に頭痛が始まったらしく、とうとう解熱剤/鎮痛剤を飲んだ。
普段あまり薬を飲まない人なので、こういう時、てきめんに効く。

夜中、何度か熱をチェックした。 解熱剤が切れたらまた熱が上がるだろうと予測していたのだが、朝までほとんどあがらなかった。 シャツを着替えさせただけ。
マラリアではないようだし、これってフルーかな? フルーだったら1週間はかかるだろうが、今朝の体温は37度2分。 ジムの平熱は37度だ。 私だったらフーフーいってしまうが、ジムにとってはほとんど平熱。 

まだ食欲はないようだが、やる事がいっぱいあるから・・・・・と出勤してしまった。

38度の熱があるのに、解熱剤を飲みながら炎天下のフィールドに出ていったこともあったっけ。 こういう時、やっぱり体力がものをいうようだ。 

考えようでは旅行中に発病しなくて良かった・・・。そう思うことにしよう。 明日からのルワンダ行きが無事に進みますように・・・・。 

Thursday, September 8, 2011

とうとうジムが壊れちゃった

とうとうジムがダウンしてしまった。 あさっての土曜日からルワンダ旅行だというのに・・・。 熱が38度を超えている。 お腹も下しているらしい。 昨日、一昨日とグランピー(不機嫌)だったのはその前兆だったようだ。
ここのところ問題が続き、夜まで緊張状態が続いていた。 土地購入の件、スタッフのトラブル、セキュリティー問題、など等。とうにストレスの限界を超えてしまっていた。

もう一人女性マネージャーも熱で倒れているそうだ。 フルーだろうと、周りの皆が言っている。 フルー・・・インフルエンザのこと。

熱が出た場合マラリアの可能性を否定できないので、症状を見守らなくてはいけない。 マラリアか、フルーか? ジムは年に1〜2度高熱を出す。 熱を出し、汗を絞るほどかいたかと思うと意外に早く回復する。 今回もそうって欲しい。 明後日は国境を越え、飛行機でキガリという町まで行き、そこでツアー会社の人と合流し国立公園に向かう予定だ。 
なんとしても復活してもらいたい。




昨日、ジムはディナーを食べなかった。 ジムなしでディナーテーブルについた私。 ボランティアのアメリカ人女性が2人ダイニングに・・・・・。
おかしな話を聞いた。

シャノンは2週間前に到着したボランティアで、アニマルハウスの部屋が一杯なので近くのホテルに滞在している。 到着直後のできごと・・・・。

ホテルの部屋はとてもシンプルで、部屋に目覚まし時計などは置いていない。 時差ぼけがあったし、携帯電話もまだ支給されていなかったので、フロントに電話してWake Up Call をお願いしたそうだ。 フランス語で ”明日の朝7時に起こしてちょうだい!” と。

数分後、フロントから電話があった。 同じ男性だったが、今度は英語で話してきたそうだ。
”マダム、コンゴの生活を知っているかどうかわからないけど、朝7時に起きるというのは遅すぎる。 コンゴ人はもっと早く起きる・・・・・” 
驚くシャノン。 こういう場合英語だと ”It's none of your business !" 大きなお世話とか/ほっといて! こう言い返すところだろう。 が、シャノンは疲れているから7時までは眠りたい・・・と言って、7時に電話してくれるよう念をおしたそうだ。


翌朝・・・・・・ ウェークアップコールはかかって来なかった。 TIA





たったいま、誰かがドアをノックした・・・。
ペントハウスまで登って来たのはシェフのエマニュエルと、アシスタントの2人だった。 ジムが病気だと聞いて心配して来てくれたのだ。 フルーツサラダはどうか? スープは? アフリカンティーは病気の時に良くきくよ・・・・と。

ありがとう。 心配してくれて。 でも今お腹を壊しているし、食欲が全然ないらしいの。 明日になったらきっとフルーツサラダが良いと思う。 今はとにかく静かに寝かしてあげたいの・・・・。 <スヤスヤ寝てます。>

エマニュエルはほんとに良い奴だ。

明日は熱が下がりますように・・・・・。 

写真はパッションフルーツとツリートマト、バナナ、パパイア、そしてレモン。 
エマニュエルはこれらを小さくカットして(パイナップルも!)フルーツサラダにしてくれる。 これが美味しいのよ!


これがパッションフルーツ 甘酸っぱくて最高!

こちらがTree Tomato トマトみたいでしょ