Tuesday, January 31, 2012

思い立ったが吉日ってことで・・・

数日前に急に日本に行く事に決めました。 家探しをジムに一任しなくてはいけないのは心苦しいけどエイ、ヤー! と決心しました。 (ジムはこういう時、ダメって絶対に言いません。 嫌でも嫌って言いません・・・・ご免ね、ダーリン) 

早速オンラインでエミレーツのチケットを買おうとしたのだけど、クレジットカードが本人の物でないので、ダメだと・・・・。 市内を駆けずり回り(ドライバーさんがね)、やっとエミレーツのオフィスを見つけた私。 このオフィス、数日前にオープンしたばかりだという・・・・。 なるほど制服を来て綺麗にメークアップしたお姉さん達が10人ほどぐるりと部屋の周りに座ってお客さんを待っていましたが、なんだかまだトレーニングが行き届いてない様子・・・・。 私はその中から一番フレンドリーな微笑みを浮かべている1人を選んで、チケットの手配をお願いした。 30分してさ〜〜いよいよ支払い! と言う時に、またしてもクレジットカードが問題に。 オフィスがオープンしたばかりなので、カードはまだ使えないという。キャッシュのみだって。 そんな〜〜〜〜〜! 千ドル以上するチケットを買うのに、現金だけって、あ〜〜た! 冗談でしょ?



最後の望み、旅行会社へ!

そこでは旦那を連れてきてサインしてもらえばオッケーだということで、翌日ジムを連れて行って、無事に購入できた。 60ドルの手数料がかかったが、仕方ない。 (オンラインで航空会社から直接買うと手数料がかからない) 

ドバイで20時間の待ち時間があるのだが、エミレーツが無料のホテルを手配してくれた。 これでも揉めた、揉めた....。 発券が出発前、24時間をきっているからダメだって? そんなバカな。 まだ24時間以上前じゃないの。 この件では旅行会社の女性にエミレーツを相手に戦ってもらった。 60ドル払った甲斐があったってものだ。 最後の最後にコンプリメンタリーのお部屋をゲットした。 やったね!
そうじゃないと、ドバイのホテルは高いのよ! 何百ドルもするんです。

まったくもって、アフリカではチケット一つ手配するのでも全力投球のガッツが必要なのだ。






キンシャサから送ってもらった荷物、今現在ハラレの空港に届いたそうなのだが、16個送ったのに1つが届いてないそうだ。 は〜〜〜〜、私達、本当に荷物の移動には運が悪い。 キンシャサではとうとう、最後の1つは届かなかったしね・・・。  16個のうちどれが迷子なのか まだわかっていません。 今回は中身の写真をとり、何番の荷物に何が入っているのかしっかり把握している。 それでもどの1箱も大事なものなので、なくなったら困るよ〜! 特に私のキーボード。 無事に届きますように!





オンラインで格安航空券を検索していたら、どれも$1800以上、だいたいがサウスアフリカンエアで2000ドルを超える値段だった。 が、1つのウェブだけ$1403、エミレーツを引っ張り出してくれた。 と言うのも、このハラレ、ドバイ、成田というルート、2月1日スタートで、今日が初めてのフライトなんだそうです。 そんなこといざしらず、偶然、1月29日に2月1日出発のチケットを検索していた私。 たぶん、他のウェブはまだこの新しいルートがシステムに入っていなかったのだろう。 MOMONDO というサーチエンジンだけ$1403を見つけてくれた。 ありがとう!

この新しいルートで最初のお客さんとして飛ぶことになるわけだ。 ドバイで20時間の待ち時間があるけど、なんだかドバイ空港は面白そう!(2度目だけど)  ただ、早朝3時のフライトなのでちゃんとアラームをかけて寝すごさないようにしないと・・・・・。あと3時間で出発です。




実家にはインターネットがないので、兄の会社まで行かないとオンラインできません。 しばらく更新できないかも・・・・。





Friday, January 27, 2012

先ずは一安心、キッコーマン、見っけ!

ハラレに到着し、今日で6日目だ。 10月から雨期に入ったそうで、毎日雨が降る。
土砂降りにあわないよう、空模様を見ながら今日は午前中から町の探索に出た。 ありがたい。 この町は昼間なら1人で外を歩くことができる。 コンゴでは昼までも一切歩けなかった。男性でも日中に襲われるケースがあるというから・・・。


今日は20分かけてお店と大型スーパーが並ぶショッピングセンターまで歩いてみた。 到着してから毎日のように色々なスーパーでキッコーマン醤油を探していた私。 どこにもない。
仕方なく、怪しげなSoy Sauce と名のつく、別物を買ってみた。 ダーバンで最初に買った醤油は不味くて、使えなかった・・・・・。ハラレのスーパーには絶対にキッコーマンが並んでいるだろうと期待したのに、これが大はずれ。 どうしよう・・・・? 

が、見つけました。 小さな、小さな、アジア輸入食品のお店!香港人が経営しているようだ。

そのお店、私が立ち寄った時に船から荷物が届いたばかりらしく、ボロボロになった段ボールから、懐かしい品々を取り出し、店に並べている最中だった。 商品を並べている場所が狭すぎて、人2人も入ったら身動きがとれない程狭い・・・・・。 

でもありました、キッコーマン! 世界が誇るSOY SAUCE。 500mlで$6。 1.8L の大瓶だと$22.5 。 計算すると小さい方がお得? 変だな?  小さい方は香港で作られたもの。大きい瓶は日本の千葉で作っているもの。 だから大きいほうが高いのね。

ゴマ油もあったし、真空パックのうどん、白鶴なんてのも置いてましたよ。 高いけどだいたいの物は揃うようだ。 ほ〜〜っ!
ただ、商品が古そうで、ちょっと買えないものもあったけどね・・・・。アジア人人口が低いのだろう、だから一般のスーパーには私の欲しい物が置いてないのだ。 (寿司海苔は売ってたけど)


問題はお米! スーパーには色々な種類のお米が並んでいるのだが、どれを買っていいのやら? 迷った挙げ句、マラウイのお米を見つけたので、それを買ってみた。 マラウイで食べていたお米なら、マ〜〜マ〜〜+ ってところだったのだが・・・。 ところが、マラウイからの輸入米、これ酷かった・・・・。 最悪でした・・・。

これじゃ、せっかくキッコーマンが見つかったのに、寿司は作れない。 思いきって”寿司用ライス” というサウスアフリカ産の1キロ6ドルもするお米を買ってみた。 ジムが寿司用が売ってるよ! って教えてくれてたけど、なんせ、高いので、毎日の夕飯用にこれを使う訳にはいかない・・・・・。 せめてお寿司を作るときだけでも・・・。


さ〜、アボカドとキュウリも買ったしこれでお寿司ができる! が、寿司を撒く簾(あれ、何ていう名前だっけ?)、香港のお店で売ってたけど、とても安っぽかったので買いませんでした。
キンシャサからの荷物が届くまでは手巻き寿司だ!

写真で見てください。 この1ドル紙幣。 もう、真っ黒で印刷が見えなくなりそう・・・。
写真のほうがまだまし。 本物は触るのも嫌なほどボロボロなんです。












Wednesday, January 25, 2012

2012年、私の初仕事 <ロゴデザイン>

<Third Point > という新しいNGOのロゴデザインなんだけどね・・・・・。
NGOがどういう活動をするのか今一理解できてないのだ。 これって致命的。 創設者である依頼人がいうには、この名前はサーフィンから思いついたそうで・・・・。 (サーフィン用語にこういうのがあるのかな?) それをNGOの名前に取り入れたいきさつはこの言葉に3つの離れた場所を結びつける・・・といった意味合いを含めたいかららしい。 もっと具体的な活動内容を送って欲しいと依頼しているのだが、彼が忙しすぎてなかなか送ってこないのだ。 

しびれを切らした私はこんな感じかな? っていう依頼者が最初にメールしてくれただいたいのイメージを元にアイディアをスケッチブックに書き貯めておいた。 それをイラストレーターで形にしてみた。 ”3つのポイントを結ぶ” という意味と、”O” の字をデザインすることだ。 

でもこれ見ても、どういう活動しているNGOなのかさっぱり解んないよね? でも、名前がそういう名前なんだから仕方ないかな? 

依頼者には既にメールで送ったみた。 ドラフトですと・・・・。
スタッフと意見を交わしてから連絡をくれるとのこと。

さ〜〜、どういうお返事が来るかしらん? ドキドキ! この中から世の中にデビューできるロゴが誕生してくれるとめっちゃ嬉しいんだけどね! 

でも私が良いかな、って思うものはかなりの確率で依頼者に気に入ってもらえない。 そういうもんなんだよね・・・・。





シンプル、かつモダンな感じに・・・・。





ギア、太陽、地球をイメージ。




依頼者が3つのサークルをただ単に繋げるっていうのはどう? というアイディアより




太陽と水、エネルギーをイメージ。 3つのポイントも入ってね・・・まだまだテコ入れが必要だけど・・・・。





これは最初にできたアイディア。 地球をテーマに3つのポイントを入れて。
覚えやすくて良いんじゃないかな?って思うんだけどね・・・・。



Tuesday, January 24, 2012

ジンバブエの通貨


写真はハラレの中で一番モダンなショッピングセンター。 ここだけは別世界のよう。


月曜日、私は2ヶ月ものバケーション中、スーツケースの中でモミクチャにされ皺だらけになってしまったジムのビジネス用パンツにアイロンをかけ、靴を磨き初出勤の旦那を送り出した。まるで新学期を迎えた1年生みたいな表情のジム。 明らかに緊張してる様子。 既に出来上がっているチームの中にリーダーとして迎えられるわけだから、緊張するのも無理はない。
IMCのオフィスは住宅地の中の一軒家でその中の一つのベッドルーム、トイレ&バスタブ付きの部屋がカントリーディレクターの部屋だった。 出向者は3人だけで、他のスタッフは皆現地採用だ。名前を覚えるのが大変!


私達が滞在しているゲストハウスは4ベッドルームの一軒家。 ありがたい事にフルタイムのハウスキーパーさんがいる。 彼女もIMCのスタッフの1人だ。 掃除機なしで全フロアカーペットの家を短い箒で掃除してくれるのだから凄い。(とても私には真似できない。)

私はキーパーさんがお掃除してくれている間にロゴのデザインにとりかかっている。 去年請け負った仕事なのにまだ何も決まっていないのだから・・・・。 新しいNGOのロゴ作り、名前が ”Third Point".
ハラレは夏だけど、湿気もないし気温も涼しく、仕事をするのにうってつけの環境だ。
涼しいと集中力もアップする。 さ〜〜、アイディアを絞り出そう!



ハラレに到着して、驚いたのが通貨。 ジンバブエはハイパーインフレを経て、2009年以降、ジンバブエドルは使えなくなったそうだ。それは知っていた。 今現在はサウスアフリカランドと、米$が使われている。 が、面白いのはアメリカドルのコインは流通されていないのだ。 お店で米ドルを払って、おつりは?っていうと・・・・・?

ジンバブエドルもないし・・・・・・。 最初に買物をした時、4ドル70セントおつりがくるはずだったのだが、70セントのコインがないので、携帯電話のクレジットをくれるというのだ。(プリペイド)

クレジットで良いですか? と聞かれ? ”え? まだ携帯ももってないよ!” とジムが答え、ジムは70セント分のキャンディーを代わりに袋に入れた。

買物に行く度に携帯電話の小さなプリペイドが増えていくってことらしい。 
これは今まで経験したことなかったね。 

それにしても米ドル紙幣がなんとヨレヨレだこと・・・。 コンゴでは古い米ドル紙幣やちょっとでも、ほんのちょっとでも切れたりしている紙幣は絶対に受け取ってもらえなかった。 だが、ここではどんなヨレヨレでも支払いできる。 形がなくなりそうな紙幣もまだ現役として流通している。 コンゴで拒否された$20札がどこかにあったっけな? ここなら問題なく使えるってことだ。

国が変わると、いろいろ違うんだよね。


Monday, January 23, 2012

番外編  夢の中の台詞

夢を見た。 夜明けと共に・・・・。 目覚める直ぐ前に見ていた夢だったので、目を醒ました時に妙に生々しい感覚が心に残っていた。 また、あいつだ・・・・。
二十歳の頃に好きだった男性が何度も夢に出てくるのは、叶えられなかった私の思いが身体の中で消化不良を起こしているからだろう。言わば、私の人生での”最大の挫折”だから?(ちょっとオーバーか?) 毎日の生活の中で彼の事を思い出したりすることは殆どない。 彼の名前の漢字すら忘れてしまったくらいだもの・・・。 なのに、何故だか夢に良く登場してくれる。 夢の中でもいつも悲しい思いをしてる自分がつくづく可哀想になってしまう。夢の中くらいもう少しやさしくしろよ!って言いたい。 隣りに何時も別の女性がいるんだもの・・・最悪。

今朝の夢は夢の中で彼の言った台詞が凄いのよ。
”朋ちゃん、僕と朋ちゃんは、もしも夢を共有できていたら一緒に歩んでいただろうね” 

ここで目が覚めた。
ベッドの中、ボーッと天井を見ながらで彼の台詞を咀嚼する。”そうか、私は彼とは夢を共有できなかったんだ・・・。 だから将来がなかったんだ・・・・。
”僕と朋ちゃんは・・・・・” 一日中、何度もこの台詞を思い出しては切ない気持ちになった。 

ってやんで〜、フ〜〜ンだっ!




じゃ、今はどうなのよ? 

ジムと私、お互いの夢なんて語ったことないんだけど、最初のデートの時に ”僕はいつか又、アフリカに行って働きたいんだ・・・” と静かに言ったけね。 ”へ〜〜そうなんだ、そんなこと考えてるんだ。 面白い奴だな、おまえ!” そう思ったのを覚えている。が、ジムの性格からして、話を大げさに語ったり、詳細を告げたりなんてことは一切なかった。 そして結婚してからも2〜3回程 ”アフリカに行く事、君はどう思う?” と聞かれた。 ”人生は短かすぎるもの、行けるチャンスがあるのなら私も一緒に行きたい!” 確かそう答えたと思う。 が、まだまだ遠い将来の事だとばかり思っていたのだ。 ところが、2007年の夏。 会社から帰宅すると、待ってましたとばかりに、突然ジムが ”君、本当にアフリカ行きたいんだね?” とたった一言だけ聞いてきた。”シュアー!” 私の返事を聞いたジムはアフリカの仕事へ応募するためのアプリケーションをオンラインで送った。 詳しい話し合いなど全然してなかった。 行きたい? シュアー。 これだけの会話。 

これから先の早かった事。 ジムの採用が決まり、転がるように話が進んで私は会社をやめ、数ヶ月後には家を空にして、ジムはアフリカに、私はフランスに飛んだのでした。 あまり誇らしいことではないので声を大にしては言えないのだけれど、ジムはフランス語を話せない私をパリの語学学校に送った。 4ヶ月特訓を受けてからチャドへ来るようにと・・・・。(この時ジムは私が如何に語学の勉強が苦手か知らなかったんだろうね? 大枚はたいてね・・・。) 

一緒にアフリカに行くか、一緒に行かないか。 私達の選択肢はこの2つだけだった。 これってもしかして夢を共有していると言っていいのかも? 一緒に行けば辛い事も楽しいことも全部共有することになるものね・・・。 この4年間、確かにそうしてきた。 お互いの背中を見守りながら。

今朝の神様のお告げのような台詞入りの夢は、切ない思いと一緒にこんな事を私に気づかせてくれたのでした・・・・。
今では夢の中の君に”ふってくれてありがとう!” と言える。 

しっかし、深く会話をしない夫婦だよね・・・・・。  難しい会話は10年経った今でもできないから。 私がジムの英語をちゃんと理解できないから。 だから深い会話ってないんです。 ”愛してるよ!” と ”おなかペコペコで〜〜す” これくらいかな、2人の会話は。


ハラレに到着

1月21日、とうとう念願のハラレに到着した!
出発の前日、夜まで待っても私達のリクエストしたフライトのチケットが購入できているのかどうか確認できなかった。
チケットはサンタモニカオフィスのトラベル担当者が手配してくれるのだが、時差があるので最終的にEチケットをメールで確認できたのは出発の日の朝だった。 プリンターが手元にないので印刷もできず、私達は必要事項をメモし全ての荷物をレンタカーに積み込み、出発・・・・・。
ダーバンのアパートを朝の9時に出発した。 南アのハイウェイは制限速度が120K/h。平均110Kのスピードでひたすらハイウェイを走り続けること6時間、ヨハネスバーグに到着。 

サウスアフリカンエアウェイは荷物の大きさ、重量チェックが厳しいので有名なのだ。 一度チェックインカウンターで言い争った経験もある私・・・・。チェックインラゲージは1人30キロが上限で、少しオーバーしていたのだが、今回はラッキー! 無事通過。 

ところがだ・・・・。 搭乗の時、タラップの前で私のキャリーオンが大きすぎてコンパートメントに納まりませんから預け荷物とします、と言われてしまう。(それならそうと、もっと早くに言ってくれ〜。)
そんなバカな! 私のキャリーオンは小さいサイズだから問題ないはずだ。 周りの乗客を見るともっと大きなものを抱えている人もいるのに・・・・。

友達がサウスアフリカンエアで同じように搭乗の直前に手荷物をとられて(お預け荷物扱いにする、という意味)家に到着してから貴重品が全て抜かれていた事に気がついた・・・・。 それと同じパターンじゃないの! ”嫌だ、嫌だ絶対に嫌だ〜!” っと思ったが、あの状況では抵抗できなかった。 

私は持っていたスーツケース用の鍵をかけて、キャスター付きの手荷物を係の人に手渡した。アワアワしてたので、スーツケース用の合鍵がスーツケースの小さなポケットに入っていた事を忘れたまま預けてしまった私。バカだわ〜。
合鍵の事を搭乗してから思いだして、不安になる・・・・。 中にはハードドライブが2つとMacのディスク、イラストレーター等のCDが入っていた。

1時間20分程の短いフライト。 搭乗時間が遅れていたのですぐに飛行機は離陸した。 

ハラレに到着したのは夜の9時半。 ジムがこの国で合法的に働ける事を証明する許可証のコピーを手に入国審査へ。 胸のレントゲン写真のコピーも。
ところが、審査官は許可証はコピーでなくて、オリジナルでなくちゃダメだというのだ。 これから入国するのにオリジナルが手元にあるはずないじゃないね!が、ジムはこの件については現地スタッフから聞いていたようで、迎えに来ているドライバーがオリジナルを持ってきているはずだと審査官に伝える。 審査官は友好的で、ドライバーと落ち合えるようにジムが出口付近まで行く事を許可してくれた。 

が〜! ドライバーは迎えに来ていなかった。 電話で連絡しようとしたがサウスアフリカで購入した携帯では繋がらなかった。 夜の10時をまわって、空港はガランとしている。 私達の飛行機が最終便だそうだ。 とうとう乗客は誰もいなくなり、私とジムだけが入国審査のブースのところに取り残された。 が、ジンバブエの人達ってほ〜〜んとに親切。 携帯が必要なの? 僕の使っていいよ? と貸してくれたり・・・。 コンゴの悪夢の空港とは大違いだ。 グッドニュースは取られてしまったキャリーオン荷物は無事に30キロのスーツケースと共にラゲージクレームに現れた。 中を確認したが、何もなくなってはいなかった。 

やっとIMCジンバブエスタッフと連絡がついた。 どうやらコミュニケーションミスで私達が今晩到着する事を誰も知らなかったようだ。チケットが最後の最後まで確認できなかったので、現地スタッフと連絡をとり、迎えの日程を確認しあえなかったのだ。 私はそこらへんのところがとても心配だったのだが、ジムがメールでやり取りをしていたので、あまりしつこく聞かなかったのだ。 (やっぱり詰めが甘いじゃないの!) 私達の到着は来週だと思っていたそうだ。とほほ・・・・。

荷物をピックアップしたり、トイレに行ったり、出口までドライバーを探しに行ったり、と私達は入国審査のブースから半径50メートル内を放し飼い状態になっていた。パスポートは没収されたままだから・・・。
 

が、最終的にIMCのロジスティシャンがが許可証のオリジナルを持って空港に駆けつけてくれた。 かくして、私達は入国を許可された。

コピーでは入国できません、と聞いた時、疲れ果てて空港の床にペタリっと座り込んでいた私。 人けがなくなり、審査官達も1人ずつ家路についてしまうし・・・・。 空港の電気が消されて暗闇の中、ジムが私の首に小さい懐中電を掛けてくれた時はトムハンクスの映画、”ターミナル” が頭をよぎった。 今夜はここで野宿なのかな〜〜と。

無事に2週間のビザをもらった私達は空港を出発し、IMCゲストハウスに到着。 なが〜〜いなが〜〜い一日が終わった。 ついにハラレに到着したのだ。

さ〜、これから又、私達の新しい冒険が始まる。 

Wednesday, January 18, 2012

いよいよ明日出発

ジムと2人ダーバンのダウンタウンまで中古車を見に行ってきた。 ウェブで観ていた会社を見つけた。 大きな倉庫の中に人1人やっと通れる程の間隔を開けて100台程の中古車が展示されている。 日本みたいに屋外じゃないのね。 倉庫の中にどうやって入れたのか? 一番奥の車を試乗したいです! なんて時には何十台もの車を動かさなくては出せない。 それにエンジンをかけてもバッテリーがあがってしまっているものも・・・・。

が、展示されている車のフロントガラスには白いマーカーで日本語が書かれていた。 カージャンクションという会社なので、”カージャンク” ”ダーバン” ”写真” とか・・・・。

しかし、どの車もいたって良い状態だ。中古車? って思えるほど新しい。

私が気に入ったのはパジェロ。 98年型。 走行距離は89000KM、でお値段は$7500。 これピッカピカだし車内も文句無くきれいだ。 お話するカーナビがついていて、”カードを挿入してください!” と話かけてくる。 中古車やさんのスタッフが”なんて言ってるの?” と聞いてくる。
あ? これ”ワンオーナー”って書いてある。 とか、”放射線チェック済み” だって! とか、日本語の表示を見て、はしゃぐ私。 なるほどね、中古車も放射線のチェックを受けているらしい。 

私達はマウンテンバイクを1台ずつ持ってきているので、車にバイクが2台乗せられると、とても嬉しいのだ。 パジェロなら大丈夫。 

だが、マネージャーさんに色々話しを聞いたところ、私達が思っていたより手続きが難しそうなのだ。 私達はダーバンで車を買って、それで国境を超えてジンバブエのハラレまで車で移動しようと思っていたのだが、これらの中古車は日本からの輸入車で南ア国内では運転できないと・・・・。 なんだか不思議なのだが、もし購入したとしたら、ジンバブエの国境まで$1000以上の費用を払って運んでもらわなくてはいけないと・・・・。 国境からハラレまでえらい距離があるじゃないの? 

車で移動プランは没になった。

レンタカーでヨハネスバーグまで戻り、そこでレンタカーを返却し、一泊。 翌日の飛行機でハラレへ。

あ〜〜、ダーバンで増えてしまった荷物、BBQグリル、キッチン用品などは全て置いていかなくちゃいけない。 だって、すでに私のスーツケースもジムのスーツケースも30キロめいっぱい荷物が詰まっているから。

1月20日金曜日に出発。6〜7時間の運転。 土曜日にハラレ入り。

さ〜、今日はパッキングとアパートの掃除だ!
中古車の購入はハラレに行ってからだ・・・・・。

もあのパジェロ良かったな〜〜〜〜・・・・。

Tuesday, January 17, 2012

労働許可がおりた!

1月16日 月曜日。 今日で休暇54日め。 確か有給休暇が今日で終わりになるはず・・・・・。 そんな不安の混じった気持ちで迎えた月曜日だったのだが・・・。

夜の11時をまわり、ジムと私はダイニングテーブルの上でお互いのラップトップをつき合わせながらインターネットに興じていた。 

ラップトップ越しのジムの顔がフッと柔らかい笑顔に変わったかと思いきや、
"Good News, TEP is out"  とメールを読みながらジムが言った。
International Medical Corps Zimbabwe スタッフからのメールだった。 申請はジンバブエスタッフを通してやっていたので、彼等からのメールを首を長くして待っていた私達。

昨年の11月25日にジンバブエの労働許可を申請して7週間が過ぎていた。 最低でも6週間、がクリスマスを挟むのでもう少し時間がかかるだろうと言われていたのだ。 最悪のケースは許可されない事もあると・・・・・。 ジンバブエ政府とアメリカ政府はそれほど仲良しではないそうだし、お役所絡みだから何が起こってもおどろきゃしない。 ダメな時はダメで他の身の振り方を考えよう!くらい大胆に構えていた私達は、この7週間をバケーションにあてていたのだ。

リタイアする前にこれ程長い休暇がとれるなんて事は、まず奇跡に近い・・・・。が、長期の休暇も思ったより大変だった。 ザンジバルで緊張しすぎたせいか? ダーバンのアパートに到着してからはジムも私もリラックスしすぎて、茹で過ぎのブロッコリーみたいになっていた。

弁護士を雇って、プロセスを早めてもらうようにしたのだが、年が明けてからの1週間はジンバブエ政府のお役人さんたちが、まだ休暇中だったので認可の是非も分からずじまいだったのだ。 今週は弁護士さんが様子を伺ってくれる予定だった。 だからその連絡を待っていたのだが、いきなり許可証のコピーが送られてきたから驚いた。 バンザ〜〜イ! 許可されたのだ。 これでジンバブエに入国ができる。

Party is over. Time to work! ジムと私は興奮しながら明日からやらなくてはいけない事を考え始めた。 

先ずは車が必要。 中古車の購入。 中古車を買って、それでダーバンからハラレまで運転して行こう! というのがオリジナルのアイディアだ。
許可証がおりないと、中古車の購入もできなかったから。 

明日は車を買いに行くゾッと!

2人ともシャキッとして、頭をクールに切り替えないと・・・・!

Sunday, January 15, 2012

<バケーション その12> 波と戯れる

1月15日、日曜。 今日は快晴! 風もなくいい感じ! 

ダーバンに来てからインターネットの契約ですったもんだしていた私達だが、昨日、やっと使い放題のインターネットプロバイダーと契約し、設置された。 それまではプリペイド式を使っていたので、直ぐに使いきってしまってなんだかドキドキしながら1人ずつしか使用できなかったのだ。 おまけにジムの仕事用メールアドレスにはコンゴを出発した11月の末から今までに、なんと8000通のメールが届いていて、それを全部インボックスに読み込むだけでプリペイドはゼロになってしまった。

やっぱりインターネットは使い放題じゃないとね!

海が何時になく穏やかそうに見えるのでジムと私は水着に着替え、ビーチに繰り出しだ。
が、ビーチに着くと、やはり波は荒く、遊泳している人はいない・・・・・。波打ち際で波と戯れている人だけ・・・・。
ジムは水泳用のゴーグルをつけて波の中に飛び込んでいったわいいが、波が荒くて太刀打ちできない。 波の中でくちゃくちゃにされている様子・・・・・。 でも見ていると可笑しいのだ。 あ、居なくなった! と思うと波に飲まれて、流されて、立ち上がる前にまた飲まれて・・・・。 ジムの海水パンツが何時、ずれ落ちるのでは? と心配した。

走って戻ってきたジムは『君の番だよ! 行っておいで。』 手旗信号のような手信号を私に示した。

僕がこうしたら、君のビキニトップがはずれかかってるっていう意味ね!
僕がこうしたら、ビキニのボトムがずれ落ちて、お尻が見えそうだって意味!
僕がこうしたら、上も下も、流されて、スッポンポンっていう意味だから! わかった?
プッ、吹き出す私・・・・。

私は買ったばかりの新しいビキニのヒモをもう一度固く結び直してから、恐る恐る波に近づいていった。 が、波打ち際は立っていられない程波の勢いが強い事が直ぐに分かった。 
私は波に飲まれ、波打ち際を転がり続けた。 新しいビキニはちょっとサイズが小さいかな、と思う方を選んだのが正解だった。 大きい方を選んでたら、直ぐに素っ裸になっていただろう。

が、ボトムが危ない危ない・・・・ズレ落ちてくる。
もう、洗濯機の中でもまれている洗濯物の気分だ。 立ち上がって体勢を整える前に次の波が襲ってくるから、揉みくちゃさ。 ゴロゴロ容赦なく転がされて、でんぐり返し、したくないのにしてるし。 

ジムは面白そうに手信号を・・・・。 ボトムが危ないと・・・・。

あ〜〜、久しぶりに波と戯れた。  中学の頃、千葉の海岸で波に揉まれるのが面白くて、何度も何度もキャーキャー言いながらもみくちゃになった思いでがある。 あの頃はまぶただけが白くて、夏休みあけはクラスで一番になれる程、真っ黒くろすけだったっけ。



私の歳で日焼けは美容の大敵なのはわかっているのだが、もう、サファリだビーチだって、ここ2ヶ月太陽と戯れて、こんがり焼けちゃってます。 真っ黒だよ、私。

Saturday, January 14, 2012

きゃ〜!

『キャー、ダーリーーン、モンキー!!!!』

ダーリンの事をモンキーと呼んだわけではありません。

リビングルームで久しぶりにイラストレーターに取り組んでいた私。 


フっと顔をあげると、なななななんと、2匹のお猿がキッチンに居るじゃないですか!

それで叫んだ訳。

キッチンのドアが開いていたので入ってきてしまったのです。
ダーリンは手元にあった小物をお猿めがけて投げつけました。 2匹とも驚いて直ぐにドアから出て行きましたけどね・・・・・。

びっくりしたわ〜。 ここは完全な住宅地なんだけどね・・・。



Tuesday, January 10, 2012

<バケーション その11>Drakensburg ハイキング

毎朝ゴキブリの死骸を始末することから一日が始まるサウスアフリカ、ダーバンでの生活も2週間を過ぎた。 ホウ酸団子の威力は凄い。一歩アパートの外に出ると、庭や通路にゴキがウロウロしているのを見かけるくらいだから、ご近所さんには無数のゴキが生息しているのは確かなのだが家の中を縦横無尽に駆け回る姿を見なくなった。  ホウ酸団子、バンザーーイ!

さて、毎日家にいて時々映画館なんかにも出かけたりしている私達は、少しアクティビティーが恋しくなってきた。
サウスアフリカはケープタウン、クルーガーパークが有名どころだが、Lethto との国境沿いに世界遺産に指定されている国立公園がある。 Drakensburg だ。
早速インターネットで宿の予約をとった私達は荷物を車に積み込み、2泊3日の小旅行に出発した。 ダーバンから車で3時間程の距離。 

目的はトレールハイキング。 初日、予約していた宿にお昼前に到着できたので、早速トレッキングブーツに履き替え、国立公園のゲートへ。 そこで地図をもらい、どのルートを歩くかを決める。 ハイキングをする人達は必ずレジストレーションにサインをしなくてはいけないのだが、私の目をひいたのが、”蛇に注意!” というプリントだ。 ”トレールを歩いていると蛇に遭遇するかもしれませんが、パニックせずに・・・・・” という注意書き。 
ありんこや蜘蛛でさえ嫌な私なのに、蛇なんて言語道断。 何度も書いていると思うけど、私はアウトドアタイプの人間じゃない。 スポーツは大好きだけど、キャンプは嫌なのだ。 毛虫とか蜘蛛とかがでてくるから。 それに低血圧で朝が苦手なのに、火を炊いたり食事の用意をしたり、洗い場まで食器を持って行ったり・・・・. そういう行程が苦手なのだ。 めんどくさいの。 
良い空気の中で食べる食事はことの外美味しいし、鳥のさえずりも素晴らしい・・・・それも良くわかるのだけれど、メリットとデメリットを比較するとどうしてもデメリットのほうが大きいのよ。 ホテル大好きだもの。

ジムは密かに近い将来、アメリカに休暇で戻った際にキャンピングカーを借りるか、買うかしてそれで休暇を過ごそうと計画しているようだけど、キャンピングカーも私にしたら、ブッブー。 嫌だわ。

話が横にそれだが、蛇に出くわさないように私はジムを先頭に歩かせた。 ジムは『蛇は先頭の人は襲わないけど、襲うのは2人目なんだよ、知ってた?』 と大まじめに私に言っていたけど、小鼻の辺りがヒクヒクしてたから、あれは絶対に嘘だと思った。 
大嫌いなゲジゲジは何匹も出てきたけれど、幸い蛇には遭遇しませんでした。良かった! 

1日目は2時間、2日目5時間、3日目は2時間半、トレッキングを楽しみました。 

ドラケンズバーグ、グランドキャニオンの小さい版と言うか? テーブルマウンテンと言うか? とにかく息を飲む景色の中、ブッシュの中を歩き続ける・・・・。 ジムも私もトレーニングを重ねた身体ではないのでヒーヒーハーハー・・・・・情けないくらい疲労困憊。 場所によっては岩肌をよじ登るような所もあって、コケやぬかるみで滑りやすくなっているトレイル、転ばずに一歩一歩足下を確認しながら歩いていたので、首が痛くなってしまった。

2泊宿泊したB&Bでは農場を経営している家族の80歳になる婦人が迎えてくれた。 それが一泊48ドルにも関わらず、朝食がもの凄く豪華版! フレッシュなイチゴ、ヨーグルト、トースト、ジュース、絞り立てのミルク、目玉焼き2個、大きなソーセージ2本、大きなベーコン2枚、トマトのソテー、マッシュルームのソテー、シリアル・・・・・。 これ全部1人分。 
凄いでしょ〜。 高タンパク、ハイカロリーのお陰で登り2時間半のトレッキングもなんとか登りる事ができました!

ジムの後ろを歩きながら、小さな、小さな、野の花を見つけては写真をとり続けた私。 ヒーヒーハーハー言いながら・・・・・。
苦しい登りも目の覚めるような色の小さなワイルドフラワーが目を楽しませてくれました。

ところで、蚤に攻撃されたジムは体中100カ所くらい刺されて水疱瘡みたいになってます。 ソファーはスプレーしてベランダに出したきり家の中には入れていません。 でもなんだか毎日ジムのお腹の辺りの赤い虫さされが増えているような? なんで私だけ刺されないのか? 今日は布製のソファーをクリーニングしてくれる人が来る予定だけれど、いくらクリーニングしても家具についてしまった虫は退治できません! とジムが言い切っているので、私達はソファーセットは家の中に入れない予定です。




途中で出会った10センチくらいの小さなカメレオン!


















Sunday, January 1, 2012

Happy New Year 2012

明けましておめでとうございます。 

サウスアフリカ、ダーバンにて世界の平和と日本の力強い復興を祈りながら新年を迎えました。

個人的に2011年を振り返ると、予定したことは1つたりとも予定通りに進まない、なんとも不安定な一年でした。 かくして、3年の予定が8ヶ月でキンシャサを出発することになったわけで、それは結果として良かったのだけど、8ヶ月、私はいったい何してたの?といえば、キンシャサの家を整えることに始まり、それをまたクローズする事に終わったと言っても過言でないだろう。 自分のできる事の限界を思い知らされた1年でした。 ジムなしでどこまでできる? かなり厳しかった・・・・・。 自分のストレスの限界も思い知らされた。 それもまた、良い経験であったと言っていいのかもしれない。 反対に、ジムと一緒に居るときは、お互いの弱点をカバーしあって、相乗効果が生まれるのかも? 1+1>2....。 そうでありたい。


今、ジムと私はサウスアフリカのダーバンで、スタンバイの状態にある。 1月の半ばまでにジンバブエの労働許可がおりれば、いよいよハラレへ向かう事になるのだが、おりなかった場合どうなるのか? 有給休暇は終わってしまう。 

今年はもう少し、地に足のついた状態で働きたいと思う。  ジムと一緒にハラレで心機一転、頑張りたいと思う。 1プラス1が2以上になれるように・・・・。


そうそう、大晦日の昨晩、私達は家で夕飯を済ませDVDを観ていたのだが、11時半を過ぎた頃から外が賑わいだして・・・・・。
花火だ。 ここサウスアフリカは今、夏。 ハッピーニューイヤーのカウントダウンは花火と共に行なわれるのでした。 日本じゃ、大晦日に花火はないよね・・・・・。
あ〜〜お雑煮が食べたい〜!