Monday, February 16, 2015

奨学金

奨学金生として入学許可をもらったM子だが、奨学金の中には飛行機代、交通費、テキスト代、そして保険代が含まれていないということを知って、奈落の底に・・・・。

母親はパニック状態。 M子もしかり。 毎日のように Importatnt ! とういうタイトルで母から私にメールが届きます。 ものすごい勢いです。 飛行機代、交通費、その他の経費を払えない代わりに母が日本に出向いて3年間スクールで働くのはどうか? M子自身も毎週10時間から20時間、働くのはどうか? いろいろ提案が書いてあり、すでにそのメールは送られてしまったようです。
これには驚いた。 まだスクールがこれらの経費を全く払いませんよ、とは言ってないのにだ。
スクールのウェブを見ても、場合によっては飛行機代も奨学金に含まれますと書いてある。

私としては、落ち着いて、学校側とのスカイプを待ちましょう。 と提案したが、聞く耳を持たないの。

飛行機代を支払うのは無理だってことくらい、スクール側だってわかっていると私は思うからだ。

ハイアットホテルでスカイプをしました。 ベッドルームを使うのは気が引けたので、ホテルに相談してビジネスセンターを使わせてもらいました。

母親は保険代とテキスト代は誰かにお金を借りて払うから、スクール側に毎月の小遣いと学校までの交通費を支払って欲しいと私に言ってきました。 スカイプが始まる15分前です。
ここ数日、悩みに悩んだ結果のようです。 だけど、お金を借りるあてはないのだと思うけど・・・・.

とにかく母親が暴走するのが怖かったので、スクール側がどういう提案をしてくるか、先に向うに話してもらいましょう! と念をおしました。

結局、スクールの校長先生は飛行機代、軽井沢までの交通費、毎年夏には自国に戻れるように、その飛行機代。 そして保険代、テキスト代、を支払いますと約束してくれました。
校長先生、毎月のお小遣い、ほとんどいらないと思うけど、40ドルくらいは持っていたほうがいいから・・・. それをお母さん用意できますか、毎月のことですけど? と言ってきました。 

これは想定していたより良い結果です。 さすがです。 毎月のお小遣いは生徒により出費が異なると思うけど、家族として、全くゼロでなく、少しだけサポートする。 これは大事だと思います。 

母は泣いてました。 

2人、満面の笑顔で帰って行きました。 私は今朝から熱があって、苦しかったのだけど、これで最後のお勤めが終わった気分です。 

よかった・・・・。 来年あたり、軽井沢まで会いに行けるといいな?

生涯忘れない、バレンタインデーに.......

タイトルだけ見るの、なんだか素敵なバレンタインになったみたいでしょ?
正反対! 地雷を踏みました。

一生忘れない、とんでもないバレンタインになってしまいました。 
私がブチ切れたので(ブチ切れるだけの理由がありましたよ、もちろん)ロマンティックなディナーはもう有りえないと判断し、部屋にあったウォッカをがぶ飲みしました。
最初はオレンジジュースで割って飲みましたが、2回目はストレートでコップ一杯ほどを一気に飲んじゃいました。

たぶん、55年生きてきてこれほど泥酔したのは初めてでしょう。 バスルームの床に倒れたまま起きられませんでした。 バスルームの床は暖房が入っていて暖かなんです。
たぶん、急性アルコール中毒になる一歩手前くらいの状態だったのでは?  倒れたまま呼吸が苦しくて、ヒーヒーと死にそうに悶え苦しんでいました。 時々嗚咽しながら。

頭の上でジムの声が・・・・・・・・。 バレンタインのディナー・・・・・云々。と言っていたような・・・・. 

『バレンタインのディナーに誘おうとしたけど、君が泥酔してるから・・・・』 みたいなことではと、想像できます。 

あと30分辛抱して待っていたらディナーに行こうか、と誘われていたかも? だけど、バレンタインスペシャルコースを食べたとしても、お通夜のような夕食になるのは目に見えていたので、それなら行かない方が良い。 という私ながらの決断でした。

問題はそれからです。 バレンタインが土曜日でした。 日曜は一言も話さず・・・・・・. 月曜日の朝、私のほうから歩み寄りました。 
まだ怒ってるの? と聞くと、『当然』 という返事です。 
来週の月曜日から一ヶ月の旅行が始まります。 今週はいろいろ片付けなくてはいけないようがあって、喧嘩している場合じゃないのです。 ホテルの支払いの件、最後に寄付するものの件、ビザの申請、などなど。 

私としてはいつものことなので、あまりクヨクヨ悩まず、一刻も早く仲直りすることを望みます。 

結婚とは、”どこまで自分の醜態を晒け出せるか? そしてそれをどこまで相手が受け止めてくれるか? ” だと思いました。 

私の前代未聞の醜態を見た旦那はたぶんショックを受けてしまったのだと思います。 そうなるくらい、私だってショックを受けていたのだけどね・・・・・. 受け止めてもらえなかった時は、それはそれで仕方ないな。  

そうそう、月曜日に、部屋の片隅にジムが買っておいたらしいチョコレートがあることに気がつきました。一緒に食べようと思ったのでしょう。 これをみて、私、ギルティーを感じました。 毎年、バレンタインにはチョコレートを買って用意するのに、今年に限ってホテル生活でお店に全然行かないものだから、チョコレートを買うの、忘れてた!  やっぱり全てお任せ気分だった私もいけないんだな・・・・・・。 ちょっと反省。 



Friday, February 13, 2015

バレンタインズデー 文化の違い

ビックリしました。今日は2月13日 バレンタインデー前日。
ジムが薔薇の花束を持って、ホテルの部屋にご帰還。 タジキスタンでの3回目のバレンタインデーなのでジムも心得たものです。当日だと花屋が男性軍で一杯なので1日早く、薔薇を購入したのです。
ホテルの部屋には、花瓶がないので、今年は、薔薇はなしでいいよって言っていた私。
ジムが帰ってきてから、5分後に、誰かがドアをノックします。
ハウスキーピングの女性が花瓶を抱えて立っているではないですか!

なるほど、ジムがホテルにお願いして、花瓶を借りたらしいのです。 ジムらしい。。。。

私が驚いたのは、この先です。 夕飯を食べながら、私が言いました。「明日は私の友達をホテルに招いての朝食なの。9時半に2人来るのよ。。。。。」
すると、ジムの返事がですね。。。。
「明日はバレンタインデーなのに、ロマンティックじゃないじゃない。。。。?」
私は、ジムが冗談で言っているのか思って、顔を見ましたよ。 完全にマジです。

こういう時、文化の違いを痛い程感じます。 私としては、バレンタインディナーを2人でとるのですから、それだけで、十分。友達と朝食をとったとして、ジムを部屋に置き去りにしたとしても、私達には、ロマンチックディナーが待っているもの! 私的には全くオッケー。
が、ジムにとっては、バレンタインデーに、女友達と。。。。。は、あり得なかったようです。

すでに、薔薇の花束も貰っちゃってるし、あなた、2時間くらい、一人で過ごして!とは言えなくなってしまいました。

チャイニーズレストランでディナー中でしたが慌てて、友達に電話しました。明日の午前中、のっぴきならない用ができちゃって。。。。。明後日に変更してもらえるかな?と。

アメリカ人のバレンタインデーは、ディナーだけではなくて、一日中なのだと、結婚14年目にして、学びました。



Thursday, February 12, 2015

奨学金

M子が日本のインターナショナルスクールオブ軽井沢の奨学金生として合格したことは前回のブログで書きました。 1年間、この日を待ち望んでいた家族の喜びようは言葉にできません。

が、です・・・・・。 数日後、スクールから送られてきた契約書をみて、家族はまたパニック状態に陥りました。 なぜって? 契約書を1つ1つ読んでいくと、そこには学費、寮費、食費は奨学金の中に含まれますが、スクールまでの旅費(飛行機代)、小遣い、保険代、テキスト代、衣料費、スクールトリップ費、コンピュター、これらは奨学金にふくまれない、とはっきり書いてあるのです。 

以前、M子の母が、この奨学金に合格したら、旅費はもちろん、毎月の小遣いまで支給されるのよ、と力説していたのを思い出しいました。 またしても勘違い? 確かに、2013年の夏にこのスクールのサマースクールに選ばれたM子は飛行機代はスクール側が支払ってくれて、日本まで行ったのでした。 2週間のサマースクールに。 

が、蓋を開けてみたら、飛行機代は自分持ちだと・・・・・。が、英語で書かれたその契約書を良く良く読んでみると、・・・・・含まれません・・・・の次になんだか曖昧な意味のセンテンスが続いています。 
英語って本当にアバウトな時があって、完全に言い切らない。 よくあります、こういうの。 聞かれなければ言わない・・・・っていうケース。このメールをもらったM子の母親はそんなニュアンスがわかるはずもなく、私にパニックメールを送ってきました。
I don't have transportation money.  というタイトルで。

は〜〜〜〜〜・・・・っと溜息です、私としては。

よく話を聞くと、M子の前に去年このスクールにタジキスタンから女子生徒が1人、この学校に入学したのだそうです。 第1期生として。 で、M子とその子は面識がなかったそうですが、今はメールのやり取りがあって、内情を教えてもらる。 その子も奨学金生として入学したのだそうです。 が、父親が飛行機代を支払ったと。

な〜〜るほど。 奨学金生の中でもいろいろあって、全額支給される人と部分的にサポートされる人がいるようです。 

この日、M子の母はM子と一緒にホテルまでやってきました。びっくり!



衣料と(古い)コンピュターは娘に持たせられますが、その他の費用は用意できません、学校側とファイナンシャルについてスカイプで話し合いをしたい、とメールするように伝えました。  

それにしても、最後の最後に飛行機代は入ってません、って、これ、ハートアタックだよね。

学校側だって、それはわかってるはずだと私は思うけど、中には頑張って親が飛行機代を払える人もいるだろうから、こういう契約書の形になってしまったのだろうと・・・・。
要するにパーソナルタッチの契約書ではなくて、みんな一緒の内容だった。と。

また、学校側とスカイプでの話し合い、たぶん、M子の母は私を頼っているのだと想像できます。
ホテルの部屋に2人をよんで、インターネットをつかって、スカイプをセッティングしてあげること、それを期待しているのだと思います。 

私は嫌だよ〜〜〜〜〜・・・・とジムに言いましたが、『あともう1回だけ。 ガンバって。』 と言われました。 

出発の前の日はM子の誕生日で、家に招待までされていて、これにもまいった・・・・。


Sunday, February 8, 2015

待ちにまった合格通知!

今日2月9日は私がチューターをしているM子にとって、待ちに待った日です。 ”インターナショナルスクールオブアジア 軽井沢” という名の高校にスカラーシップ生として受け入れてもらえるかどうか、その合格通知が送られてくる日です。 
ちょうど一年前の2月に、我がアパートメントでスカイプの面接を繰り返し、すったもんだした結果、M子は合格は保証するけど、1歳年齢が若いので1年間入学を待つように言われたのでした。 合格、だけど、1年保留。 嬉しいけどM子の親は納得していませんでした。 1年若くても、入れて欲しいという交渉を最後の最後まで諦めませんでした。 6月で年度が終了するというのに、年明けに1年飛び級して無理に9年間の履修を終了させて2014年に日本に娘を送りこもうとしました。が、結局飛び級したはいいけど、うまくいかずに元の8年生に逆戻り.....。 ものすごく無理がありました。

一年待つ事をよぎなくされた親子は不安な1年を過ごしました。 というのも学校側は入学を口頭で約束しましたが、それを文面で書いて送ってくれなかったから。 学校側の立場もよく理解できます。とにかく公式なレターは送られてこなかった。



それが1年たった今日、やっと、やっと、公式に合格通知が送られてきました。
朝の7時前にM子の母から電話です。 電話の後ろでは祖母の声も聞こえます。
21日、M子の誕生日なので、ジムと私は招待されていて、その時に私が何を食べたいか? おばあちゃんが後ろで聞いているようです。 とにかく家族じゅうが興奮状態。 

おめでとうM子。 これでやっと安心して生活できるでしょう。 夏には日本に向けて出発。 

軽井沢にM子を訪ねて行ける日が本当に来ると良いと思います。

2年弱、私はM子を教えてきました。 途中もういやになって投げ出したくなりました。 だけど、これは私自身の鍛錬だと思って続けました。M子も私が時々とても厳しくしたので、嫌になったと思います。 お互いに嫌な面を見せあった。だけどやめなかった。 

M子は16歳にしては大人びているしっかり者。 
この先、軽井沢の高校でいろいろな国のいろいろな友達と出会い、学び、成長していくのでしょう。 

学びたいのに学べない、上を目指したいの目指せない。私たちには想像できないような逆境を乗り越えて海外の高校への切符を手にした親子の姿を2年近くまじかで見てきました。  
それは日本のお受験のような世界ではありません。 省庁に母1人で乗り込んでいって、大臣に娘の留学について助けてくれるように相談・・・・。 だけど、結果はいつも裏目。そういう世界です。

おめでとう、M子。

将来は建築家になりたいのだそうです。 
大きく羽ばたいて欲しいです!




 

  



Saturday, February 7, 2015

Water Users Association Office Opening

昨日、ジムの日帰り出張に一緒について行きました。 ホテルでのんびりと過ごすのも魅力ですが、数少ないタジクでの日々、少しでも見たり聞いたり感じたりするべき! と思い、同行しました。 

Water Users Association のオフィスがまた2つ新しくオープンし、そのセレモニーに出席するためです。 前回一緒に同行しているので内容はすでにわかっていました。 3時間、ドゥシャンベから南にドライブ。 もうそこは春がきているような暖かさでした。


ソビエト時代にはコットンしか作れなかったそうですが、今、灌漑施設が修理されたおかげで、玉ねぎ、人参、レモン、などが作れるようになったそうです。 ロシアに輸出もしていると。 

リボンカットのあとは盛大なご馳走が振舞われました。 テーブルの上がいっぱいでもう置く場所がないくらい、それでもコース料理が運ばれてきます。 それを2回も続けて食べました。






ざくろの切り方が素敵でしょ? お肉もTV漫画にでてくるような骨つきのお肉らしいお肉。 私が躊躇していると毛皮の帽子をかぶった男性がナイフをつかんで小さく切り刻んでくれました。 食べないと失礼だよね。 いただきました。

トイレをお借りしたくて尋ねたら、オフィスにはまだトイレができていないので、隣の民家のトイレに通されました。 

数日前に、タジクのトイレはアフリカより遅れてるってジムの元ボスが言ってましたが、納得。 ただ穴が空いてて、木の板が穴の両側に渡してあるだけ。 やっぱりドゥシャンベ以外の村ではこれがスタンダードなのだろう。 手を洗おうと思って水を探したけど見つかりませんでした。 ドゥシャンベだけみていると、本当のタジキスタンはわからないようです。それにしてもトイレの穴の横にバケツが置いてあって、その中に石ころのような、でもゴツゴツした7〜8センチくらいの塊が山積みされていたんです。 なんだろう、あれは? なんだったんだろう?   気になるな・・・・・。 

Monday, February 2, 2015

科学的に証明された『生涯パートナーを愛し続けられる8つの方法』

面白いタイトルの記事だと思って、インターネットの記事に目がとまりました。
投稿は The Huffington Post in Association with The Asahi Shinbun です。


・・・・・・略。  これらの秘訣は、意外だと感じるものもあるかもしれないが、すべて科学的な研究で明らかになったものだ。

1. 結婚式にお金をかけ過ぎない
2.オンラインで相手をみつける
3.ただし、ソーシャルメディアに依存しない
4. 映画をいっしょに見る
5. パートナーのとりとめのない話に付き合う
6. ケンカのときに『私たち』という言葉を使う
7. パートナーを理想化する
8. 2人で一緒に楽しめることをする


以上

驚きです、これ。 本当に科学的に証明できてるのかしら? 

#1、#2、#4、#8 は完全にイエスです。 #7は私が勝手に思ってることですがね。 

そっか〜、オンラインで相手を見つけるのは結果的に良いんですね! 
面白いです。

興味のある人はオンラインでフルの記事を読んでくださいませ!




ホテルに引越しました!

2015年1月31日、2年間過ごしたドゥシャンベのアパートから出てハイアットホテルへ移動しました。 なぜって? たいてい帰任するときは最後の数日をホテルで過ごし、そして空港へ! こういうパターンなのだけど、今回は特別。 アパートが問題多すぎなので、会社がアパートの契約を1月末で打ち切ってくれたのです。 だって、冷蔵庫壊れちゃってるし、いつまた漏電して出火するかもしれないし・・・・。 


ホテルにチェックインした途端に疲れがでてダウンです。 

ジムは早速プールで泳いでますよ。

昨日の朝(月曜日)とても驚くことが起きました。 ジムをホテルの玄関まで見送ろうとロビーまで一緒に行った時のことです。 ホテルの入り口から髪を後ろに束ね、メガネをかけたアメリカ人男性が入ってきました。 私とすれ違った。 ジムは私の後ろを歩いていて、その男性とすれ違った瞬間に 『ソリック!』 とジムが叫びました。 

こんなことってあるんですね。 
ソリックとは、この海外生活で私たちが最初に行くことになったチャドの仕事でジムのボスだった人です。 ジムと私は2007年夏、2人揃ってワシントンDCに面接に行きました。 苦虫を噛み潰したような顔の学者風、ロングヘアーのこの男性はジムと同じagricultureの専門家です。 面接しました。 結局、採用されてこのソリック氏がジムの最初のボスになりました。 とても個性的なタイプなので私も忘れなかった。 チャドでは私も現地採用の1人だったので、ソリック氏とメールのやりとりありました。 

彼はその時のNGOをやめて、現在は違うオーガニゼーションで働きその仕事で今、ドゥシャンベに来ていると。 そして私たちと同じホテルの同じ10階の部屋に滞在していると・・・・。 ソリックで始まったこの7年半のアドベンチャー、あと3週間で一応の区切りがつくんだけど、最後はソリックで締め!

なんだかループの最初と最後がくっついたようで不思議な気分です。 その夜私たちは一緒にディナーをとりました。 ソリック氏、ジムより2つ歳下。 数年前に再婚してまだ2歳くらいの小さい女の子がいるのだそうです。

仕事の時はとても寡黙な人、という印象でしたが、ディナーの時のソリック氏はとても饒舌で印象とは随分違う感じでした。 

ソリックで始まり、ソリックで終了。 めでたし、めでたしです。
写真は10階のホテルの部屋からの風景です。